+++ ハヤハナ +++ 啜り泣くような泣き声が聞こえてきた。 その声で目を覚ましたゲンマは、布団から起き上がり、寝間着のまま声がする方へと向かっていった。 其処には、ハヤテが座り込んでいた。 その丸まっている背中に、ゲンマは恐る恐る声をかける。 「…ハ、ハヤテ…? どうしたんだ…?」 ゲンマのその声に、ハヤテは顔を上げ、振り返った。その顔は涙でぐしょぐしょになっている。 「ど、ど…どうしたんだ…?」 「…ゲンマ、さん…」 泣き腫らした目を擦り、しゃくり上げる。 その膝の上には黒い塊が。 よく見てみると、その黒い塊はぐったりしている仔猫だった。ハヤテの飼い猫兼忍猫の紫苑だ。 「紫苑?」 「し…紫苑が…紫苑がぁ…っ」 そう言いながら、ハヤテは泣き出した。  ハヤテの泣き声に反応したように、紫苑が細く目を開け、ハヤテの顔をゆっくりと見上げる。  口を開いたが、鳴き声は聞こえてこない。鳴く元気も無いようだ。 「紫苑…どうしたんだよ…?」 「わかんないです…朝、起きたら…ぐったりしてて…」 自分の膝の上でぐったりしている飼い猫を優しく撫でてやりながら  ハヤテはしゃくり上げながら少し怒っているように言う。 「元気ねぇな…大丈夫か?」 紫苑の首を撫でてやりながら、ゲンマは心配げにハヤテと紫苑に同時に訊ねる。  ゲンマの声にも返事するように紫苑は口を開いたが、やはり鳴き声は聞こえてこない。 「医者に診せ方がいいんじゃね?」 「医者?」 「獣医。ホラ…ツメさんトコの娘さん……ハナだっけ?あの子獣医だろ。連れて行けば…」 「そうでした!」 目を赤くし頬は涙で濡れたまま、ハヤテは勢いよく立ち上がった。そして、そのまま家を飛び出していった。 ピンポーン 犬塚家の呼び鈴が鳴る。キバ出な!と言うツメの怒鳴り声とも聞こえる大きな声が家の奥から聞こえてきた。 別にキバが怒られているわけではなく、犬塚家の面々は皆普通に声が異常に大きいだけなのである。 「へーい」 玄関の扉が開く。そして顔を見せたのは犬塚キバだった。 キバは目の前の、ぐったりしている仔猫を抱いて赤い目をしたハヤテを見て少しばかり驚いたようだった。 「ハナさんは…!?」 「え…っ姉ちゃん…?」 「急患です!すぐ呼んで下さい!」 「は、はあ…」 キバは、ハヤテの迫力にすっかり押されている。 「姉ちゃん!急患だってよ!」 家の奥へ向けて、キバは叫ぶ。すると、すぐにハナがその長い髪を結びながら飛んで来た。 「どうぞ!」 と、ハナはハヤテと紫苑を家に上がらせる。 途中、狭い廊下で擦れ違ったツメに 「うちの娘に手出したら同僚でも許さないよ」 と、からかわれハヤテはきょとんとしたが、ハナの方が顔を赤らめて母親に噛み付いた。 「此処に寝かせて貰えますか?」 通された部屋は、どうやら獣医としての診察部屋のようだった。  壁に動物の写真が貼られている以外は殺風景な白い部屋だった。  消毒薬の匂いがする。 白い小さなベッドの上にぐったりしている仔猫を寝かせた。 ベッドに寝かせた瞬間、紫苑は更にぐったりしたようだった。  呼吸する度に揺れる身体も弱々しい。 すぐにハナは触診を始める。  普段人見知りが激しく、見知らぬ人間には簡単には触れさせないのに、紫苑はなすがままになっている。 「…紫苑…痛い?苦しい?」 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、ハヤテは紫苑の頭を指先で撫でる。 すると、紫苑は苦しそうに口を開いた。弱々しい鳴き声が微かに聞こえた。 「……お腹が、痛い?」 「え?」 「紫苑はお腹が痛いって言ってます」 「…え、あ、はぁ…」 きょとんとしながらも、ハナは紫苑の腹に触れる。そして何かに気付いたらしく、処置を始めた。 数十分後には、紫苑は完全とまではいかないが、回復したようだった。 ベッドから立ち上がり、ハヤテを見上げる。 「紫苑…!」 いつもの紫苑なら其処でハヤテの胸に飛び込んでくるのだが、  まだ其処までは回復していないらしく、それに気付いたハヤテがすぐに紫苑を抱き上げた。 「紫苑…っ良かったぁ…っ」 ハヤテに抱き締められ、紫苑はにゃあと嬉しそうに鳴いた。 「またつまみ食いして…駄目だってあれ程言ったでしょ!」 ハヤテのその言葉に、まるで返事するように紫苑はにゃあと鳴いた。 「今度また同じ事したら許さないから…っ」 「……………あの」 不意にハナに声をかけられ、ハヤテと紫苑はハナの方へ顔を向けた。  その目には、もう涙は無い。 「えっと…お名前……」 「紫苑です」 「いえ、猫ちゃんの名前じゃなくて…」 「あ。私ですか?月光ハヤテです」 「ハヤテさん…その…猫とお話…できるんですか?…」 「え……っ」 「さっき…その、紫苑ちゃんとお話してたみたいなので」 「えっと…私が直接会話できるのは紫苑を始めたとした、私の一族と契約している特別な口寄せ動物だけです… でも、紫苑達は普通に他の動物達と会話できるので、その動物が何て言っているか教えてくれます」 ハヤテの説明に、紫苑も同意するように、にゃあと鳴いた。  すると、ハナは驚いたように目を見開いた。  犬塚家の人々は、やはりリアクションも大きいらしい。  治療を無事に終え、ハヤテが診察室を出て行こうとした時、ツメに声をかけられた。 「不知火が来てるよ」 「え……っ」  ツメに案内された客間には、ゲンマがずっしりと座っていた。  ハヤテが部屋に入ってくると、いつものようによぅ、と片手を挙げる。 「ゲンマさん……っ」 「俺も紫苑が心配でさ」  ゲンマがそう言うと、ハヤテの腕の中の紫苑が、嬉しそうにゲンマの胸の中に飛び込んで行った。 「おう、よしよし。すっかり元気になったみたいだな」  ゲンマの声に返事するように、紫苑はにゃあと鳴きながらゲンマの頬をぺろぺろと舐める。  紫苑に舐められ、ゲンマは楽しそうに笑い転げている。 「紫苑、くすぐったいって!」 「こら紫苑。病み上がりなんだからやめなさい」  ゲンマの腕の中から紫苑を抱き上げると、ハヤテはそのまま抱き寄せる。 「じゃあ、帰るか」 「ハイ。……ハナさん、お世話になりました」  くるっと振り返り、ハナに向ってぺこりと頭を下げるハヤテ。 「いえいえ、これも仕事ですから」 「にゃあ」  ハナに向かって、紫苑が何か言う。  少し首を傾げながら、ハナは紫苑とハヤテを見比べるように見る。  その視線で、ハナが何を聞きたいのか気付いたハヤテは、すぐに答える。 「紫苑もありがとうって言ってます」 「またね、紫苑。もうつまみ食いしちゃ駄目だよ?」  紫苑に向かって、ハナが手を振る。  そんなハナに向かって、紫苑も手を振る。  正確には、ハヤテが紫苑に右前足を掴んで振らせているだけだが。  ゲンマとハヤテが出て行った玄関を、ハナは暫くの間何か考え込むように見ていた。 「……ハナ……まさかあんた……惚れたんじゃないだろうね?」 「母さん……あの二人……」 「ああ、わかってるだろう? あの二人、デキてるんだよ」 「…………ええッッ!? 男同士だろう!?」 「木の葉っていう里は全ての者を受け入れる器の大きな里なんだよ」 「…………」  酔ったように言う母親の顔を少し呆れたような目で見ながら、ハナは溜め息をついた。    <FIN>