+++ 夢と現実の硲 +++  リビングルームのような部屋で、ハヤテは何やら分厚い本を読んでいた。  不意にその部屋に一人の男が入って来て、ソファに腰掛けた。  すると、ハヤテは読みかけの本を持って、腰掛けている椅子から立ち上がった。  傍から見れば、男と同じ部屋にいたくないから移動するかのように見えた。  男も、そう思っていた。  だが、それもいつもの事。  男は、あまり気にも留めていなかった。  ハヤテは立ち上がると、ソファに腰掛けてきた。  男が座っているすぐ隣に。  しかも、男の右側だ。  珍しい事もあるもんだ…と、男が思っていると、ハヤテは手に持っている分厚い本を、男の足の上に置いた。  そして、その開いているページを指差し、掌でパンパン、と数回叩いている。  男がその本を見ていると、それは通信販売のカタログだった。  しかも、日本刀のだ。  チラリと隣にいるハヤテを見てみると、目が生き生きと輝いていた。  この里に連れて帰ってから、こんなに生き生きと目を輝かせているハヤテを見るのは、初めてだった。  否。  正しくは、初めて逢った時から。 「…欲しいのか?」  恐る恐る男は、訊ねてみた。  すると、ハヤテはその言葉を待ってましたと言わんばかりに顔を上げて男を見上げた。  嬉しそうに、微笑んでいる。  ハヤテのこんな笑顔を見るのは、男にとっては初めてだった。  いつも見る笑顔は、もっと腹黒さを伺わせるような笑顔ばかり。  男への嫌がらせが成功するたびに、その腹黒さが増すかのように。  男の言葉に、こくこくと数回頷いた。 「どれが、欲しいんだ?」  少し溜め息混じりな声で、男は訊ねてみた。  すると、ハヤテはすぐに本の開いているページの、とある二つの部分を指差し、交互に指先でトントンと叩いた。  柄の部分が赤い刀と、鞘に細かい細工が施されている刀。 「……二つも、か…?」  男の声は、心持ち震えていた。  刀は、そう安いものではない。  しかも、今開かれているページは、どれも高価なものばかりが並んでいる。  今、砂隠れの里は軍備縮小に伴い、財政難である。  上忍であれ、給料は少ない方だ。  一つでさえも買えるかどうかが不安になるような高価な刀を、二つも要求されてしまった。  だが、もし此処で“買えない”と言ってしまえば、ハヤテの事だ。  “実家に帰らせて頂きます”と言って木の葉に帰ってしまう事は目に見えていた。  これも、愛しい者を引き止める為だ。  男は、腹を括る決心をした。 「買えたら、買ってやる。だが、二つは無理かも知れない。期待はするな」  恐る恐る、男はそう言った。  だがそれだけでも嬉しいのか、ハヤテは、ぱあぁっと、  まるで満開の桜のような明るい笑顔を浮かべ、男の右腕に抱き付いた。  それだけでなく、その嬉しさを表現する為か、抱き付いている男の右腕に頬擦りしてくる。  ハヤテが、隣に座ってきた。  ハヤテが、微笑みかけてきた。  ハヤテが、腕に抱き付いてきた。  どれも、男にとっては嬉しい事の筈だが、よく考えてみると又ハヤテに一杯食わされたような気にもなってきた。  だが今は、この美味しいチャンスを使わない手は無いと思い、ハヤテを抱き寄せようと左腕を伸ばした。  その時だった。  ハヤテは男の腕をするりと抜け、部屋から出て行った。  もう用は無い、と言わんばかりの背中だった。  数日後。  任務から帰って来た男は、手にしている二つの桐の箱を、ハヤテが座っているソファの上にポン、と置いた。  きょとんとした顔で、ハヤテはその桐の箱と、男の顔を交互に見比べた。 「開けて見ろ」  男のその言葉で、ハヤテはその二つのはこのうち、一つの箱の蓋を開けてみた。  すると、その中には一本の刀が入っていた。  柄の部分が赤く色づいている刀だ。  もう一つの箱の蓋を開けてみると、其処には鞘に細かい細工が施されている刀が入っていた。  ハヤテが先日、欲しいと男にせがんだ(?)刀である。 「欲しかったんだろう」  この日の為に報酬が高額なSランク任務ばかりを優先して、  他の同僚よりも数倍近く多くこなして来たとは、言わなかった。  ハヤテは、この二本の刀を見た途端、又あの、  満開に咲いた桜のような笑顔をぱあぁっと浮かべ、男に抱き付いた。  そして、男の右頬に頬擦りしてきた。  その時、一瞬だけだが、ふわりと甘い香りがしてきた。  それがハヤテの匂いだと思った時、男はハヤテを抱き寄せていた。  いつもは未遂で終わる行為が、今日は何故か成功した。  これはまさか夢か、などという考えは、何故かしなかった。  ただ、今は本能の赴くままに行動する獣と化そうと決心し、ハヤテをソファに押し倒す。  そして、今まさに暴れん棒将軍となっている自分の分身を、解放しようとした、まさにその時だった。  物凄い殺気だった。  真冬に冷房をガンガンに効かせた部屋よりも、涼しく寒い空気が、  すうっと身体の中に入って来るような感覚があった。  思わず、男は左手を差し伸べていた。  すると、その左手の掌で、こちらに襲い掛かってくる刀を受け止めていた。  目を開けると、目の前に刀を持ったハヤテがいた。  窓からは、朝日が差し込んできている。  小鳥の囀りも聞こえてくる。  今この状況から、男は自分が愛している者に暗殺されかけた事に気付いた。 「こ…殺す気か……」 「なんだ、起きてたんですか。つまらない。朝です、起きて下さい。朝食はとっくに出来ています」  素っ気無い声でそう言うと、ハヤテは刀の先についた血を男の布団で拭うと、刀を鞘に収め、部屋から出て行った。  ああ、あれは夢か…  落胆すると同時に、そりゃ夢だろうなという気もしていた。  こんな事をしてくる人物が、あんなに可愛らしくほしい物をねだって来るとは、到底思えなかった。  だが、いい夢だった。  現実にもあんな事が起こらないかと、夢のその又夢でも叶わないような事を考えながら、男は着替えた。  食堂へ入ると、テーブルの上に桐の箱が二つ、並んでいるのに気付いた。  まさか、あれは現実だったのか…!?  一瞬、男は焦った。  男が入って来た事に気付くと、ハヤテは笑顔を浮かべ一通の手紙を差し出してきた。  夢の中で見た可愛らしい笑顔ではなく、いつもの腹黒さを伺わせるような笑顔だ。  ハヤテが差し出してきた手紙は、クレジット会社からの請求書だった。  男が任務に出掛けている日に、又勝手にカードを持ち出され、使用限度額ギリギリの買い物に使われたらしい。  勿論、ハヤテに。  ハヤテは男のカードを勝手に使って、この二つの刀を買ったらしい。 「……お、おま……っ、か、か、かか勝手に……」 「いい買い物をしました」  にっこりと微笑みながら、ハヤテは言う。 「いい買い物って、お前…」 「幸せです」  うっとりとした目で刀を撫でながら、ハヤテは本当に幸せそうに呟く。 「朝食、食べないんですか」  けんちん汁をよそった器を、男の前にトンと置きながら、ハヤテはそう言う。 「あ、ああ、食う…」  男は食卓に着き、ハヤテお手製のほんの少しアーモンド臭のするけんちん汁を一口啜った。  だが、二口目に入る前にその器をテーブルの上にトン、と置いた。 「ハヤテ」  そして、ハヤテの名を呼んだ。 「馴れ馴れしく呼ばないで下さい。吐き気がする」 「……試験官様」 「その呼び方で呼ぶな。反吐が出る」 「月光ハヤテ」 「一体何ですか。用があるならさっさと40字以内で述べなさい」 「このけんちん汁に、青酸カリを入れたな」  男のこの一言に、同じ食卓で食事を摂っている砂の三兄弟は、ピタリと動きを止めた。  砂の三兄弟も、今けんちん汁を啜っていたのだ。 「テマリさんと、カンクロウくんと、我愛羅くんと、私のには入れてません。アンタのだけです」  ハヤテのその言葉に、安心して三兄弟は再び、けんちん汁を啜り始めた。 「……」 「それに、私がアンタの器に入れたのは、シアン化カリウムです」 「同じだ!!」 「それが何か問題でも?」 「何か問題でも? じゃない! お前はおぎやはぎか!!」 「沢山食べて、さっさと死ねや」  これ以上無いというぐらいの、にっこりとした笑顔で、ハヤテはそんな恐ろしい事をさらりと言ってのけた。 「残念だが」  二口目を啜りながら、男は言葉を続ける。 「この程度じゃ、俺は死なない。俺は忍だぞ。大抵の毒は耐性がある」  男のその言葉を聞いた途端、ハヤテは落胆したように肩を落とし、テーブルに顔を伏せた。 「クソ……ッ、暗殺失敗…! この男が忍じゃなかったら確実に殺せたのに……!!」 「聞こえてるぞ」 「ハヤテさん、落ち込む事は無いよ。何ならわたしが斬り斬り舞で殺ってあげるからさ。大カマイタチの術でもいいけど」 「黒秘技機々一発もあるじゃん」 「…砂爆送葬なら確実だ」  ハヤテの落胆ぶりが同情心をあおったのだろうか。  砂の三兄弟達は、口々にそう言う。 「お、お前等……」  男の声は、震えていた。  砂の三兄弟が、自分よりもハヤテの方に懐いている事は随分と前から気付いている事だが。  だが、その懐いている者の為に自分の上司までをも殺す気でいるのか、こいつ等は。  幼い頃からこの砂の三兄弟の性格は知っているとは言え、今のこの三人の言葉が恐ろしくて仕方なかった。  〜終〜