+++ in memory of our love +++  人気ロックバンド、“LUNATIC”  人気絶大の現在、突然の活動休止宣言をしてファンを驚かせ、悲しませた。  その理由は、明らかにされていない。  公式サイトでも、メンバーやスタッフからの活動休止についてのファンへのメッセージは何も無い。  それが、余計にファンを落ち込ませていた。  女性週刊誌では、相変わらず好き勝手に書かれている。  一部のファンサイトの間では、メンバーの誰かが倒れただの、  金銭面でのトラブルがあって解散寸前だの、そんな噂が流れていた。  処変わって、とある大学病院。  そして、其処の精神科。  医師や看護婦の間では、この間入ってきたばかりの新患の噂で持ちきりとなっていた。  ついこの間、突然の活動休止宣言をした、人気ロックバンド“LUNATIC”のボーカリスト、疾風じゃないか、と。 「はじめまして。あなたの担当の不知火です」  白い無機質なベッドの上で上半身を起こしている細身で黒髪の青年に向かって、白衣姿で銀髪の青年は言う。  すると、その黒髪の青年は顔を上げ、銀髪の青年の方を向いた。 (…………やっぱり、似てるな…………本人か?)  彼と目が合うと、不知火と名乗った医師は、そんな事を考えてしまう。 「……はじめまして。月光です」  か細い声で、黒髪の青年も名乗った。 「えぇっとぉ…………月光ハヤテさん…………でいいのかな?」  不知火医師は、手にしているカルテを見ながら、月光と名乗った患者に訊ねる。 「ハイ」 「年は、23歳……(まともなやりとりはできるな……聞いてたよりは軽度か?)」 「ハイ」 「……若いねぇ」 「先生も、お若いじゃないですか」 「いや。俺、こう見えても29なんだわ。童顔だから幼く見えるだけで」  すると、ハヤテはじっと不知火医師の顔を見詰める。  無表情で。 「29でも、お若いです」 「そ、そうかな」 「ハイ」  相変わらず、ハヤテは無表情で受け答えている。  じっと不知火医師の目を見て、ハヤテは次の言葉を待っている。 「…………っと…………」  その漆黒の瞳に吸い込まれそうになり、不知火医師は慌てて呟く。 「……ゲンマ、さん……」 「え?」  突然、下の名前を呼ばれ、不知火医師は間の抜けた声で答えてしまった。 「不知火ゲンマ…………精神科」  不意に、ハヤテは不知火医師の胸元を指差す。  其処には、白衣のポケットがあり、その上に写真付きの名札が付いている。  どうやらそれに書かれている名前を、呼んだらしい。 「ゲンマさんって呼んでも……いいですか」 「え? あ、ああ……別に構わないけど」 「いい名前ですね」 「え? そうか? 昔は好きじゃなかったんだけどな、この名前」 「……そうなんですか」 「ああ。でも、月光ハヤテって名前の方がいいと思うけどな?」 「…………」  するとその途端、ハヤテは悲しそうに俯いた。  言っちゃマズイ事だったかな……と、不知火医師は自分で自分の口を塞いだ。 「えっと……ちょっと訊きたい事があるんだけど……いいかな?」 「…………」  悲しそうな瞳をしたままハヤテは顔を上げ、不知火医師の目をじっと見ながら頷いた。  その答えを確認すると、不知火医師は手にしているファイルに目を通した。  心理テストにも似た質問をしていき、その質問に対する患者の答えを書き込んでいった。 「……よし、終了。ご苦労さん」 「今ので……何がわかるんですか」 「ま、色々とな」 「……僕の、精神状態ですか」 「ん……まぁな」 「僕は、精神病なんかじゃありません」 「決め付けてるわけじゃなくって、此処ではこういうのが決まりだから……  (精神病者に限って、そう言うんだけどな……)」 「僕が精神科に入院させられている時点で皆が僕を精神病だと決め付けてるじゃないですか」 「決め付けてなんか……(ああ、クソ……ッ、メンドくせぇ……)」 「…………すみません。取り乱してしまいまして…………」  つい今まで興奮気味だったハヤテは、突然落ち着いて俯いた。 「あ、いや……」  精神科医として、突然興奮する患者には慣れているが、突然自分で落ち着く患者には慣れていない。  少し驚いて、不知火医師は俯いているハヤテの横顔を見詰めた。  綺麗な顔してるな……  やっぱ、そっくりだな……  本人じゃねぇのか……?  “LUNATIC”のいちファンである不知火医師は、  目の前にいる不思議な雰囲気を醸し出している青年患者を、ついそんな目で見てしまう。  もし、“LUNATIC”の疾風だったとしたら。  そして、それがマスコミに気付かれたら。  大変な事になってしまうだろう。  そんな事を考えながら、じっとハヤテの顔を見ていた。 「…………あの」  不意に、声をかけられた。  顔を上げると、其処には少し心配そうな顔をしたハヤテがいる。 「ん?」 「僕の顔に、何か……ついてますか?」 「え? あ、いや、別に……綺麗な顔してるなって思って……」 「……本当に、そう思ってるんですか?」 「え?」 「…………いえ」  すると再び、悲しそうに俯く。  何がそんなに悲しいのか、不知火医師にはわからない。  笑ったらきっと可愛いんだろうな、とぼんやり思った。 「それ、誰のCD?」  ナースステーションの奥にある、医師専用の事務室で、  不知火医師が自分の机の上にあるラジカセにCDをセットしようとしている時、不意に声をかけられた。  振り返ると、其処には同僚の医師がいた。 「LUNATICの鎮魂歌」 「……LUNATIC……って……あの、203号室に新しく入った患者さん?」 「まだLUNATICの疾風と決まったわけじゃねぇだろ」 「でも、顔そっくりだし、名前も同じだし、声も……」 「本人だったらどうするんだ?」 「俺の彼女、LUNATICの疾風の大ファンなんだよ。サイン貰おうかな」  同僚医師の言葉を聞きながら、不知火医師はヘッドホンを耳につけた。  そして、ラジカセのスイッチを入れた。  耳に当てているヘッドホンから、音楽が聞こえてくる。  緩やかに流れる風のような音楽から、透き通るような歌声。  物悲しげなその歌声に、不知火医師は思わず、先程見た患者・ハヤテを連想していた。  午後。  不知火医師が、ハヤテの病室に入ると。  中には、見知らぬ女がいた。  髪の長い、綺麗な女が。  突然入って来た不知火医師に、その美女は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、  不知火医師が白衣を羽織っている事に気付くと、警戒を解き、ぺこりと軽く頭を下げた。  ベッドの脇には、綺麗な花が添えられている。  今朝は無かったものだ。  きっと、この美女が見舞い品として持って来たものなのだろう。 「先生……ハヤテの様子は、どうなのでしょう?」  その表情からも、声からも不安が伝わってくるような言い方だった。  束ねていない黒い長い髪が、開いている窓から吹いてくる風で、ふわっと靡く。  それを押さえるように、女は髪に手を当てる。 「まだ入院したばかりですからね。何とも言えませんが……。  調子良い方ではないでしょうか。思っていたより軽度だと……」  手にしているカルテと、目の前に不安げに佇んでいる美女の顔とを見比べながら、不知火医師は言う。 「そうですか……良かった……」  不知火医師の言葉を聞いて、女は安心したように溜め息をつき、微笑を見せた。  そして、ベッドの上で身体を起こしているハヤテに向かった。 「ハヤテ。仕事の事は心配しなくていいからね。  あたしが、何とかしてあげるから。あなたは、病気を治す事だけ、考えていなさい」  優しく肩を撫でながら、女はハヤテにそう言った。  すると、俯いていたハヤテが顔を上げ、女の顔を見た。  無表情に近いが、怒りが見えているような、そんな表情だった。 「危ない!」  不知火医師が叫ぶのと、ハヤテが花瓶を投げ付けてくるのは、ほぼ同時だった。  思わず、不知火医師は女を庇うように抱き留めた。  悲鳴をあげ、女は抱き留めてきた不知火医師の腕に抱き付いた。  ハヤテが投げ付けてきた花瓶は、不知火医師と女のすぐ横の壁にぶつかり、粉々に割れた。  中に入っていた色とりどりの花や水が床に広がっている。 「…………」  不知火医師の腕を掴んでいる指から、女が震えているのがわかった。  女は、少し震えながら驚いている顔でハヤテの方を向く。  ハヤテは、女を睨んでいる。 「…………」  無言で、女は座り込んで割れた花瓶の破片を拾い集め出した。  買って来て生けたばかりだろうと思える花も、一輪一輪拾う。  不知火医師も女の隣に座り込み、花瓶の破片や花を拾い上げるのを手伝った。  震える指で破片やら花やらを拾い集めている女の目には、何か光るものがあった。  それが涙だと気付いた時には、もう女は破片と花を拾い集め終えていた。  その間、ずっとハヤテは女を睨んでいる。  その視線に耐えかねてか、女は病室を出て行った。  女が出て行くと、不知火医師はハヤテのベッドの脇にある椅子に腰掛けた。 「……何か、気に入らない事でも?」  できる限り、優しい声で訊ねる。 「…………あの人は……姉さんは、僕を憐れみに来たんです」 「姉さん? あの人、お姉さんなんだ……へえ。すっげぇ美人だな」 「…………」  不知火医師があの女を褒めると、ハヤテは顔を上げて不知火医師を睨んだ。 「……もしかして、お姉さんの事…………嫌い、なのか?」  ハヤテのその睨みに尻込みしながらも、不知火医師はそう訊ねた。 「大ッ嫌いです、あんな人……」 「あらら」 「美人で、頭も良くて、スポーツも出来て、仕事も出来て、両親にも信頼されてて……。僕とは全然違う」 「…………」 「何で、同じ両親から生まれたのに……全然違うんですか」  そう言うハヤテは、段々と俯いていく。 「でも、お前にもいいところはあるだろ」  そんなハヤテを見て、不知火医師は少し慌てて言った。 「僕のいいところって何ですか」  不知火医師の言葉に、俯いていたハヤテは顔を上げ、不知火医師の顔を見上げた。 「それは……まだ、逢ったばかりだからわかんないけど。でも、見付けてみせるさ。退院するまでには、絶対に」 「……僕は……退院、できるんですか……?」  不知火医師の何気無い言葉に、ハヤテはまるで傷付いたような顔を見せた。  今にも泣き出しそうな顔で、不知火医師の顔を見詰めている。 「できるさ。どんな病気でも、治る。治せる。その為に、俺達医者はいるんだぜ?」 「…………僕は、病気、なんですか…………?」  すると、今にも不安で消え入りそうな声で、ハヤテは訊ねてきた。 「ん……多分、な」 「そう、です、よね……」 「ん?」 「病気じゃなかったら、此処にいるわけありませんし……」 「心の病ってのはな、誰でもなる可能性は秘めてるんだよ。  今元気に遊びまわってる奴だって、一歩間違えば此処に強制入院させられるかも知れないし」 「…………」  ハヤテは黙って、俯いた。  その時、病室の扉が開いて女が再び入って来た。  その事に気付くと、ハヤテはその女を睨む。  ハヤテのその視線から目を逸らしながら、  女は新しく買って来たらしい花束とそれを生けている真新しい花瓶を、先程と同じところへ置いた。 「……ハヤテ。何が気に食わないの。何が、そんなに嫌なの。言って頂戴」  睨まれている女は、必死になって強気な目をしてハヤテに向かって叫ぶように言った。 「何も……」 「え?」 「何もわからない癖に!!」  女を睨みながら、ハヤテは叫んだ。 「あんたが何も言わないからでしょ。何が気に食わないのか言ってくれなきゃ」 「……あんたなんか、大ッ嫌いだ」 「…………!」  ハヤテは女を睨みながら、ぽつりと呟くようにそう言った。  その途端、女は驚いたように目を見開く。   「あんたがいるから……僕はずっと、劣等感に苛まれ続けてきた……あんたなんか……あんたなんか……」 「ストップ!」  ハヤテの言葉を、慌てて不知火医師が止める。 「お姉さんは心配して来たんだぞ。そんな言い方、無いだろ」 「心配……!? そんな事、あるわけない」  ハヤテと不知火医師が、女の方を向くと。  女は、二人をじっと見詰めながら、涙を流していた。 「……ごめんなさい。……でも、安心して。もう、来ないから」  それだけを呟くように言うと、女は涙を拭うのも忘れ、病室を飛び出していった。 「……あ〜あ……」  女が飛び出していった扉を見詰めながら、不知火医師は溜め息をついた。 「どうして、そんなにお姉さんの事嫌うんだよ? 俺は……今日、  初めて逢っただけだけど……優しそうでいいお姉さんだと思うんだけどな……」 「…………」  不知火医師の言葉に、ハヤテは顔を上げて自分の担当医師の端正な顔を見詰めた。  その目に耐えられなくなったように、不知火医師もそっと病室から出た。  医師専用の事務室に戻ろうと、エレベーター前に来ると、先程見た、あの女の姿を見付けた。  エレベーターと自動販売機の間のソファに、俯いて腰掛けている。  自動販売機で温かい缶珈琲を買うと、後ろから女に近付き、女の頬にくっつけた。  すると、女は驚いた声を上げて振り返ってきた。  不知火医師の顔を確認すると、女は少し安心したように微笑み、軽く頭を下げた。 「どうぞ」  買った缶珈琲を差し出すと、女は再びぺこりと頭を下げ、それを受け取った。 「隣、いいですか?」 「……どうぞ………」  不知火医師の問いに、女は座っているソファから少し横にずれた。  女の隣に座ると、不知火医師は買った缶珈琲を開け、一口飲んだ。 「すみません。恥かしいところを、お見せしちゃって……」 「いえ。仕事柄、慣れてますから」 「…………」  不知火医師の答えを聞きながら、女は俯く。  まるで冷たく冷え切った手を温めるように、缶珈琲を両手で握っている。 「…………お話、聞いて頂けますか?」  決心したように顔を上げ、女は不知火医師の顔をじっと真顔で見詰めた。 「ええ、勿論。此処では何ですので、此方へどうぞ」  女の言葉に、不知火医師は力強く頷き、立ち上がった。  不知火医師に続き、女も立ち上がり、歩き出した不知火医師の後をついていった。  不知火医師は、フロア奥の現在使われていない個室の病室に入って行った。 「どうぞ」  ソファに腰掛けると、女に向かい側のソファを勧める。  女は不知火医師に勧められるがまま、そのソファに腰掛けた。 「お話というのは?」 「……私達、両親がいないんです」 「………病気で?」 「いえ。二人とも、事故で……。私達が、幼い頃に。それから、親戚の家に預けられて育てられてきました。  とても優しい家で……私達は、何不自由なく育ちました。……あの子も……ハヤテも、そうだと思った………」 「…………」 「私達の両親が事故で他界したのは、ハヤテがまだ物心つく前だったんです。  だから、引き取られた先の親戚の叔父と叔母が実の両親だとばかり思ってたらしくて………。  でも、叔父と叔母が実の両親じゃないと気付いてしまった時、相当ショックだったらしくて…………」 「…………」 「悪い仲間達とつるむようになって、バンドを組んで………家に帰らないようになってしまって………」 「…………」 「でも、あの子は、歌っている時が本当に幸せそうなんです。だから、あの子の夢を叶えたかった…………」 「……もしかして……」 「御存知……でしょうか。今は活動休止してますけど、  “LUNATIC”というロックバンド……その、ボーカルをあの子が……ハヤテがしてます」 「ああ、やっぱり」 「御存知、だったんですか」 「ええ。俺も大ファンなんで」 「そうなんですか。嬉しい」  不知火医師の言葉に、女はまるで自分の事を褒められたように嬉しそうに微笑んだ。  そんな彼女の微笑を見て、いい姉さんじゃねぇか、と不知火医師は思った。  弟が思っている程、酷いような人には、とてもじゃないが思えない。 「最近、人気に火が付いてきたから、急に忙しくなって体調が悪くなったとか……でしょうか」 「…………それも……ある、と…………思い、ます…………」 「ん?」 「『鎮魂歌』って映画、ご存知ですか?」  「鎮魂歌」。  “LUNATIC”が映画のタイトルと同名の主題歌を歌った映画の名だ。  不知火医師も、その映画は見た事がある。  当時付き合っていた彼女が好きだと言っていた男性俳優が主演しているから、  というだけの理由でデートの時観た映画だ。  主演の俳優も含めて、出演している俳優やら女優やらが演技力に乏しく、  それだけでつまらないと思った映画である。  実際、上映中映画館の中で寝てしまっていたぐらいだ。  ストーリーは、よくある純愛ものだった気がする。 「あの映画の主題歌に、“LUNATIC”が抜擢されて、それから注目されるようになったんです」 「俺もあの映画の曲聞いて好きになったぐらいですよ」 「…………」  だが、今度の不知火医師の言葉に、女は先程のような嬉しそうな笑顔は浮かべてこなかった。  それどころか、悲しそうに俯いた。  女の顔を見詰めながら、不知火医師は彼女の次の言葉を待った。  彼女は言い辛そうに、俯きながら唇を噛んでいる。 「どうして、“LUNATIC”が映画『鎮魂歌』の主題歌を担当されるようになったか、その経緯……ご存知ですか?」 「……えーっと……監督が“LUNATIC”の曲をたまたま聴いて、  それで歌声と映画のイメージがピッタリだった、と………確かそうパンフに載ってたような…………」 「…………」  不知火医師の言葉を聞いて、彼女は辛そうに俯く。 「それが……?」 「私、出版社に勤めてるんですけど……数年前、とある新人映画監督の取材に行ったんです。  私と同年代の方で……。愉しく取材させて頂いたんですけど、その……監督が、言ったんですね。取材の時に」 「…………何て?」 「『映画の考案は決まってるけどイメージ通りの曲が無い』と」 「…………それで?」 「其処で、私が“LUNATIC”のCDを、渡したんです。弟のバンドですって言って」 「…………」 「その日は……そのCDを渡して取材を終えましたけど……。  翌日、その監督さんからお電話を頂いたんです。『話があるから今から逢わないか』と。  出版社に勤めてると、取材先からそういうお誘いはよくあるんです。  いつもは断ってるんですけど、その方からのお誘いは、受けたんです」 「…………」  何だか、嫌な予感がした。  温くなった缶珈琲の缶を握り締めた。 「…………まさか」  言葉を発しない女に、不知火医師は思い切って訊ねてみる。  すると、女は頷いた。 「CDのアーティストの曲を今度の映画の主題歌に使って欲しければ、要求をのめ、と…………」 「…………それで…………」 「ええ。要求を、のみました」 「…………」 「…………」 「その、要求……というのは……まさか………」 「…………」  不知火医師の言葉に、彼女は無言で頷いた。  彼女ほどの美貌の持ち主なら、簡単に想像がつくような、要求だろう。 「あの子は、その事を知って………それから私を嫌って避けるようになって………」  自分達の力だけで掴んだと思っていた成功。  それが、本当は裏での取り引きの末の成功だった。  しかも、その取り引きをしたのが、自分の家族だった。  もしも、それに気付いてしまったら……。 「多分、あの子は……私を、軽蔑してるんだと思うんです」  そりゃそうかもな、と不知火医師は思ってしまった。  勿論、口には出さないが。 「でも、何でその事を……その、弟さんは知るようになったんでしょう?」 「……私が、その監督と逢っているところを、どうやらあの子は見てしまったらしくて……」 「…………」 「しかも、ホテルに入るところを……」 「…………」  超絶、最悪じゃねぇか。  今にも口から零れ出しそうなその台詞を、不知火医師は慌てて噤んだ。  彼の目の前にいる女は、俯いている。  その横顔に少し見惚れていると、彼女の目に光るものがある事に気が付いた。  涙だ。 「私は、幾ら嫌われてもいいんです。いえ……嫌われるべきだと、思ってますから……ただ………」  と、其処で彼女は口を閉ざした。 「ただ?」 「……いえ。すみません、こんな話聞かせてしまって……」 「いえ……」    不知火医師がそう答えると、彼女は長い髪を押さえながら立ち上がり、  不知火医師に向かってぺこりと一礼し、病室を後にしようとした。  だが、慌てて不知火医師はそんな彼女の背中に声をかけた。 「すみません、お名前、は……?」  不知火医師の言葉に、彼女は立ち止まって振り返った。  そして、微かに微笑みながら、名乗った。 「月光アリサです」  それだけ言うと、彼女―アリサ―は再び前を向き、病室を後にした。  少しヒールの高い靴を履いた、アリサの足音が聞こえる。  その音が小さく遠くなっていくのを聞きながら、もう来ないのかな、などと不知火医師は考えていた。  女として魅力的な人だとは思う(恐らくは年下だろうが)。  これからもずっと、会いたいとは思う。  だが、異性としての「会いたい」ではなく、  患者―ハヤテ―の治療には彼女から話を聞くのが一番だろうという観点からの「会いたい」という気持ちだった。  窓の外を見てみると、緑溢れる木々の間から、アリサの姿が見えた。  このまま、本当に帰るらしい。  一度、病院から出る門のところで、アリサは立ち止まった。  そして、振り返った。  その視線の先には、恐らく弟の病室があるのだろう。  あの話を聞いても、このアリサの様子を見ても、  やはり「弟思いの姉」の図が不知火医師の中で芽生えていた。 「……姉さんは、帰ったんですか」  病室に入ると、不知火医師が入って来た事に気付いたハヤテが、  読んでいた本から顔を上げずに素っ気無く訊ねてきた。 「やっぱり、本当は心配なんだろ?」 「……心配なんかじゃ……」  不知火医師の言葉に、ムッとしての反論ではなく、少し頬を赤くしての反論だった。 「いい人だと思うけどねぇ……。それに美人だしスタイルもいいし。最高のお姉さんじゃねぇか。今度紹介してくれよ」 「…………」 「じょ、冗談だって……」  ハヤテにギロリと睨まれ、慌てたように不知火医師は言い訳する。 「姉はお酒が好きですから……焼酎かチュウハイでもプレゼントすればいいんじゃないですか」  不知火医師に向かって、ハヤテは読みかけの本に再び目を落としながらそう続ける。 「……へっ?」 「姉と、付き合いたいんでしょう? 勝手に付き合えばいいじゃないですか」 「いや……そういうわけじゃなく……」 「じゃあ、どういうわけですか」  本から顔を上げ、不知火医師の顔を真っ直ぐな瞳でじっと見詰めながら訊ねる。 「ただ……美人のお姉さんがいて羨ましいな〜って思ってるだけ……だよ」 「……………………そうですか」  不知火医師の言葉を聞き、再びハヤテは本へ視線を戻した。  ぱらり、とページを捲る音だけが部屋の中に漂っている。 「何か用ですか?」  医者に対してのこの強気な態度。  読んでいた本から顔も上げずに、ハヤテはそう不知火医師に訊ねてくる。  素っ気無い口調だった。 「主治医が、自分の担当患者見て何が悪い?」 「何度も言いますけど、僕は精神病なんかじゃありません」 「…………だろうなぁ〜……」  不知火医師のそんな呟きに、驚いたようにハヤテは本から顔を上げた。  少し見開いた目を、不知火医師に向けている。 「こんな大人しい患者さん、俺はじめてだし。前、担当してた患者さんなんてすっげぇ暴れてさぁ。  ナースステーションの鋏振り回した事もあったな……」 「…………」 「おかげでその患者さん、もっとランクの高い、重症患者だけを集める、まるで監獄みたいな病院に強制入院させられて」 「…………その患者さん……どうなさったんですか」 「自殺したって」 「…………」  不知火医師のその言葉に、ハヤテは再び目を少し、見開く。  だが、そんな事を平然と言い、表情も変えない不知火医師に、少し軽蔑めいた目を向ける。 「自分が担当していた患者さんが死んだのに、どうしてそうして平然としてられるんですか」 「どうしてって……そりゃ、自殺したって聞いた時はすげぇショックだったさ。  でも、俺が知ったのはその患者さんが死んだ後だったし。  誰かが死んだ後にできる事なんて、その死んだ人を忘れない事だけ。それと……  その人みたいな人を、これ以上出さない事だけだ」 「…………」 「誰かが死ぬと言う事は誰かが悲しむと言う事なんだよ。  自分なんか死んでも誰も悲しまないと思って死のうとする奴はそりゃ沢山いるけどさ、  そいつが死ぬ事によって絶対、誰かが悲しむんだよ。両親に、兄弟に、恋人、友達…………」 「家族も友達も恋人もいない人は、どうなるんですか。その人が死んでも、誰も悲しみません」 「自分の家族や、友達や恋人でもなくても、血の繋がりや知り合いじゃなくても、誰かが死んで悲しむ奴だって腐る程いるんだよ。  世の中まだそう腐ってもないし、全員が全員腐っちまったわけじゃない」 「…………」 「例えば、お前が死んだらあの美人のお姉さんだって絶対悲しむと思うし。たった一人の家族なんだろ?」 「…………何で、そんな事知ってるんですか。姉が、喋ったんですか」 「いや……HPで」 「ホームページ?」 「…………“LUNATIC”ってバンド、やってんだろ?」 「…………」 「え? 違う? そっくりだけどなぁ……」 「…………確かに、僕は“LUNATIC”のボーカルをやってました」 「『やってました』って何? 解散したわけじゃねぇじゃん。活動休止、だろ?」 「……時雨も、重陽も、浅茅も、皆………そろそろ違うボーカルを捜してる筈です」  俯きながら、ハヤテは淡々と言う。  「時雨」も「重陽」も「浅茅」も、“LUNATIC”のメンバーの名だ。  ギターに、ベースに、ドラムス……。 「んなバカな。“LUNATIC”の顔はボーカルであるお前だろ。  ボーカル以外のメンバーがチェンジしても違和感ねぇけど、ボーカルがチェンジしちゃあ、  他のメンバーは代わって無くても全く別のバンドになっちまうじゃねぇか」 「精神病患者がボーカルをしてるバンドなんて……気味悪がって売れるわけないじゃないですか。  だから、僕は何度も何度も精神病なんかじゃないって言ってるんです……!」 「…………あのさぁ、お前、此処、何処だかわかってる?」 「精神病院でしょう」 「んー、そうだけどさ。それは合ってるんだ。さっき俺、言っただろ? もっとランクの高い重症患者だけ集める監獄みたいな精神病院があるって」 「…………」 「此処は、か・な・りランクの低い精神病院なんだ。……ランクっつーか、症状が低めの患者さんを集めてる病院なんだわ」 「…………」 「精神病っつっても、頭可笑しい奴ばかりが集まるわけじゃねぇし。  精神病って言うのがネックなんだよな……うーん……そうだ。心が病んでる人が集まる場所。これでいこう」 「…………」  軽く握った右手を、左の掌にぽんと打ちながら目を耀かせて言う不知火医師。  ハヤテは、何言ってるんだこの人は、という目を不知火医師に向ける。  だが、不知火医師はハヤテのそんな目には気付かずに話を続ける。 「薬を飲むだけで治る人もいれば、少し休まなければ治らない人もいる。お前は少し休めば治るタイプだと思う」 「…………」  不知火医師のその言葉を聞いて、ハヤテは少しだけ嬉しそうな顔になった。 「だから、精神病院に入院した、なんて事じゃなく、疲労で倒れたって事と同じだよ」 「…………」 「“LUNATIC”ももうすぐ活動再開できるさ。楽しみだな〜」 「…………」  不知火医師の言葉に、ハヤテは嬉しそうな、だが寂しそうな、複雑な表情をした。  そんな表情のまま俯いた。  翌日。  診察を終えた不知火医師がナースステーションを通って、入院患者専用病棟へ足を踏み入れると。  ナースステーション内に集まっている看護婦達が、何やら嬉しそうにきゃあきゃあと囁き合っていた。 「何やってんの」 「あ、不知火先生! さっき、あの疾風さんの病室の場所を訊いてった人達がいたんですけど、それが! それが!」  不知火医師が声をかけると、一人の看護婦が赤い顔のまま興奮気味に話してきた。 「落ち着けよ」 「“LUNATIC”のメンバー達でしたよ! 時雨さんに、重陽さんに、浅茅さん!」 「ほう。全員集合か」 「先生、そろそろ疾風さん、検温の時間ですよね! ね!」 「ん……そうだな」 「じゃ、一緒に行きましょう!」 「……行くなら検温表と体温計だけでいいだろ。何だよ、その色紙の山は」 「サイン貰わなきゃ!」 「…………あんま、無理させんなよ?」 「ハイっ!」    検温表と、体温計と、山のような色紙を持った看護婦と、手ぶらの不知火医師はハヤテの病室へと向かっていった。  病室の前まで来ると、中から話し声が聞こえてくる。  数回ノックすると、ハヤテの声で返事が聞こえてきた。  その返事を聞いてから、不知火医師が扉を開ける。  すると、中にはハヤテの他に、ラフな格好をした青年達が3人いた。  彼等は不知火医師が入って来た途端、その白衣を見て担当医師だと気付いたらしく、ハヤテのベッドの前を空けた。 「検温の時間です」 「あ……ハイ」 「あの、先生」  看護婦から受け取った体温計で、ハヤテが体温を測っている間、青年の中の一人が声をかけてきた。  “LUNATIC”のメンバーの一人、ギター担当でリーダーでもある時雨だ。 「疾風は……良くなるんですか? いつ、退院できますか?」  その顔は、心の底から仲間の心配をしている友人の顔だ。 「ん……ああ、結構と良くなってますよ。疲れが溜まってただけみたいですし。一応念の為、もう少しだけ入院して貰いますが、多分もうすぐ退院できると……」 「そうですか! 良かったぁ……」  時雨がそう呟いた途端、今まで黙っていた重陽と浅茅も、嬉しそうに顔を綻ばせた。  検温を終えると、一緒に入って来た看護婦は山のように持って来た色紙に、サインを頼んだ。  メンバーはそれを快諾し、黙々と色紙にサインを始める。  一枚の色紙に、寄せ書きのようにすらすらとサインをしている。  一人が書き終わると自分の隣にいるメンバーに私、次々とサインしていく。 「あのー」  何とか全ての色紙にサインをし終えると、看護婦はその大量のサイン色紙を持って嬉しそうに病室を出て行った。  それを見計らったように、メンバーの一人が不知火医師に声をかけてきた。  リーダーの時雨だ。 「疾風を、散歩に連れてっていいですか?」 「別に構いませんけど、主治医である俺の付き添いが必須条件です」  不知火医師のその言葉に、ハヤテ以外のメンバーは互いに顔を見合わせた。  そして目配せし合い、こくりとお互いに頷いた。 「お願いして、良いですか」 「はい」  ベッドに横になっているハヤテは、殆ど私服に近い格好だったのでその上に上着を羽織り、メンバーと一緒に病室を出た。  その後を、不知火医師も追う。  入院病棟から、患者の散歩が許されている中庭へ出るには、まずエレベーターに乗って一階へ降りる必要がある。  そして、そのエレベーターホールへ行くには、ナースステーションの前を通らなくてはならない。    人気ロックバンド、“LUNATIC”のメンバー勢ぞろい、である。  注目を浴びないわけがない。  特にナースステーションの前を通った時は凄かった。  ちょっとちょっと、“LUNATIC”メンバー勢ぞろいよ!  時雨様、こっち向いて!  見ないと絶対損するわよ!  本物よ、本物〜!!  と、看護婦が小声で叫び合っているのが聞こえてくる。  一人の看護婦は、デジタルカメラまで持って来て、写真撮影しようとさえしている。  慌てて、不知火医師はそんな看護婦達を止める。 「オイオイ、相手は患者さんとその見舞い客だぞ!? 少しは静かにしろッ病室には寝てる患者さんもいるんだぞ!」  医師の権限を使って怒鳴ると、看護婦達はまるで我に返ったように急に静かになり、しゅんとなる。  すみませんー、という声がちらほらと聞こえてくる。 「すみませんね、小うるさい病院で……。あんなの、気にしなくていいですから」  不知火医師は、次に“LUNATIC”メンバー達に慌ててそう謝罪する。  すると、メンバー達の口々からは別に良いですよ、という声が返って来る。  まるで、こうなる事が予めわかっていたかのようだ。  もしかしたらこういう事は、慣れているのかも知れない。  中庭に出ると、患者達やその見舞い客、そしてその主治医達が数人、散歩していた。  だが、メンバー達は他の患者達の事は気にせずに中央にある噴水へと向かって歩き出す。  中庭にいる患者達や見舞い客は少々年配ばかりだからか、“LUNATIC”メンバー達を知らないらしく、静かなままだ。  メンバー達は、噴水のそばにあるベンチに、ハヤテを座らせた。 「……病院には、とても見えないな……」  中庭をきょろきょろと辺りを見回し、時雨がぽつりと呟く。  すると、同感だと言わんばかりに他のメンバー達も頷いた。 「アリサさんは?」  突然、浅茅がそんな事をハヤテに訊ねた。  昨日の午後の出来事を思い出した不知火医師は、少し慌てた。  だが、そんな不知火医師の心配とは裏腹に、ハヤテは俯き、口を開いた。 「昨日、来ました」 「ああ、やっぱり来たんだ。俺達も昨日来れば良かったな」 「…………」 「…………」  メンバー達もハヤテが姉であるアリサを嫌っている事は知っているのか、すぐにその場は気まずくなってしまった。 「そういや、あの曲の事だけどさ」  と、時雨が口を開いた。  “LUNATIC”間の話だろう。  聴いて良いものなのか……と、不知火医師は少々心配してしまう。  だが、一ファンとして耳をすましてしまうのだった。 「もう俺達の分のレコーディングは終ったんだよ。後は疾風の分だけなんだ」 「つっても、まだ歌詞は出来てねぇけどさ」  “LUNATIC”の曲は殆どいつも、疾風が作詞を担当し、作曲はメンバー全員でしている。  いつもは疾風作の詞に曲を付けているらしいが、今回はこのような事情からか、曲が先に出来たようだ。 「ホラ、これが出来上がった曲。暇な時にでも聴いてくれよ」  と、時雨は一枚のMDと、ウォークマンをハヤテに渡した。  大切そうに、ハヤテの手に包ませる。 「いいか? 一つだけ言っておくぞ」  時雨が、改まってそう言いだした。  すると、他のメンバーも時雨が何か大切な事を言おうとしている事がわかったらしく、居直る。  時雨の声で、俯いていたハヤテは顔を上げ、リーダーの顔を見詰める。 「俺達は、四人で“LUNATIC”なんだ。お前以外をボーカルにする気は、全く無いからな」  何を言い出すのかと思えば、時雨はそんな事を言い出した。  想像もしていなかった事だからか、ハヤテは驚いたように少しだけ目を見開く。 「お前以外のボーカルなんていらない。俺達にとっては、お前が世界一のボーカリストなんだ。  これはバンドやり始めた事から、今でも、これからも決して変わる事の無い事だ」 「…………」 「それは、浅茅でも、重陽でも、俺でも言える事だ。俺達が一人でも欠けてしまったら、それはもう“LUNATIC”じゃない」 「…………」 「お前がまた、歌えるようになるまで、“LUNATIC”はいつまでも待ってるからな」 「…………」 「あの歌声、早く聴かせろよ」  にかっと笑って時雨はハヤテの肩に手を置いた。  その手は、きっととても暖かいのだろう。  時雨と目が合っていたハヤテが、ちら、と重陽と浅茅の方を見た。  すると、重陽と浅茅もにかっと笑っていた。  三人とも、とても優しい笑顔だった。 「……はい」  その笑顔を見て、ハヤテも微笑んでそう答えた。  不知火医師にとっては、初めて見る笑顔だった。 <<<2へ続く