+++ 一度だけ… +++ 「それじゃあ、行って来ます」  砂の三兄弟の長女、テマリはそう言った。  砂と木の葉が再び同盟協定を結んで、数日。  力を求め、大蛇丸のいる音を目指す為、サスケが木の葉を抜けた。  中忍になったばかりのシカマル率いる木の葉の下忍少年達が、それを追いかけていった。  その小隊の援護に付いて欲しい、と五代目火影の伝言が砂に伝わってきたのだ。  援護の為、テマリ、カンクロウ、我愛羅の砂の三兄弟が木の葉に向かう事になった。  新しい衣装に身を包み、木の葉に向かって行く三人。 「ええ、行ってらっしゃい」  にっこりと、ハヤテはその三人を見送った。  三人の姿が見えなくなると、ハヤテはくるりと方向転換し、台所に入っていった。  食器洗いの為だ。  半ば無理矢理、この里に連れて来られた。  そう思っていたし、今現在もそう思っている。  だが、この里が嫌いなわけではない。  興味深い里だと思っている。  一応、あの時命を助けられたとは認識している。  だから……  蛇口を捻り、食器洗いをしているハヤテの後ろ姿を、怪しげな雰囲気の大柄な男が見ていた。    あいつ等もいなくなった。    二人きりだ!!  そう思い、男は内心ガッツポーズを取っていた。 「言っておきますけど」  突然、ハヤテが口を開いた。  水が流れる音と同時に。 「変な気を起こしたら……」  背を向けたままのハヤテの言葉。  何故かわからないが、二人の間に流れる空気が重くなった気がした。  男はゴクリ、と唾を飲み込む。 「アンタを、破産させますからね」 「は、破産……!?」 「ええ。私はアンタの預金口座やキャッシュカードの暗証番号を知ってますから」 「な……な……」 「何故知っているか、ですか? それは秘密です」  ハヤテは、少し可笑しそうにそう言う。  水が流れる音に紛れ、男は気配を消してハヤテの真後ろに立った。 「変な気、と言うのはどんな事だ?」  すぐ目の前にいるハヤテの細い肩を後ろから抱き寄せながら、男はそう訊ねた。 「…………」 「いいのか? これは……」    少し笑いながら、男は手をそっとハヤテの胸部に回した。  すると。  食器洗いをしていたハヤテが、不意に動きを止めた。  そして、右腕が動いた。  何かと思えば、その右腕の肘が、男に向かって襲い掛かってきた。  物凄い殺気だった。  慌てて、その肘鉄から避けた。  俗に言う、“マトリックス避け”で。   ハヤテの肘鉄は男のすぐ目の前を通り過ぎ、背後にある食器棚のガラス戸に当たった。  ガラス戸は粉々に割れた。  中にある食器も一緒に。 「な……」  驚いてガラス戸が割られた食器棚を見ていると、再び物凄い殺気が襲い掛かってきた。  何かを確かめる前に、その殺気も避ける。  その瞬間、その殺気は今さっきまで食器棚があった、壁に刺さった。  それは、水が滴っている出刃包丁だ。  ハヤテは、その出刃包丁を男に向かって投げ付けてきたのだ。 「こ……っ、殺す気か…………!!」 「ええ」  男の言葉に、ハヤテは背を向けたまま即答した。  訊ねなくとも、男にはその問いの答えはわかっていた。  ハヤテが、自分に対して雀の涙程も好意を寄せていない事ぐらい。  それに、こんなあからさまな殺意を向けられたのも、別に今回が初めてではない。 「それでも、俺はお前が好きなんだ!!」  まるで自分自身に言い聞かせるような事を言いながら、男は再びハヤテを後ろから抱き寄せた。  だが、すぐに変わり身の術をされた。  男が今、抱き寄せているのはハヤテではなく、変わり身にされた丸太だった。 「そうですか、アンタはそんなに丸太が好きですか」  男から少し離れた場所で、ハヤテは嘲笑を浮かべながらそう素っ気無く言っている。 「では、その丸太、差し上げます」 「……」 「それと……ちゃんと後片付けはしておいて下さいね」 「……」  そう言われ、男は自分の足元を見てみた。  壊された食器棚。  割られたガラス戸と複数の食器類。 「お前が壊したんだろうが」 「元々はアンタが変な気を起こしたからでしょう。この変態が」  どう見ても軽蔑しているとしか思えない冷たい目付きで、男を睨むハヤテ。 「…………」  男が何も言い返せないでいると、ハヤテはくるりと方向転換し、ソファに腰掛けた。  そして、新聞を広げて読み出した。  後片付けを終えた男が、ハヤテを探すと、彼はソファの上で眠っていた。 「風邪ひくぞ」  そう言いながら、男は眠っているハヤテの隣に腰掛けた。  すると、男の重みでソファは沈み、その拍子に肘掛に身を預けていたハヤテは男の肩に寄り掛かる形になってしまった。  だが、ハヤテは眠っているので、その事には気付かない。  それどころか、気持ち良さそうにすやすやと寝息を立てている。  男は、ゴクリと生唾を飲み込むと、震える手で眠っているハヤテの肩に手を回した。  ハヤテの肩に手を回すと、そっと自分の方に抱き寄せる。  そして、ゆっくりと顔を近付けていった。  眠っている、ハヤテの白い顔に。  口づけようとした。  だが、二人の唇と唇が触れ合いそうになった時、男は慌てたように顔を遠ざけた。  もし、今ハヤテが目を覚ましたら、確実に殺される。  存在を抹殺される。  そう気付いたからだ。 「意気地無し」  頭を抱え俯いている男に、そんな素っ気無い声が聞こえてきた。  顔を上げると、其処には目を開けてこちらを向いているハヤテがいた。    見られてたのか………    確実に殺される。    存在を抹殺される。    俺の人生、30年。    長いようで、短かった。    短いようで、長かった。    ……    加流羅、夜叉丸、風影様・・・    今、逝きます。   コンマ一秒でそんな考えが、男の脳裏に通り過ぎていった。  だが、男のそんな考えは杞憂だった。  自分の死を覚悟していると、不意に唇に温かくて柔らかな感触が当たった。  ハッと我に返って目の前を見ると、ハヤテが少しずつ離れてゆくのがわかった。 「一度だけですからね」  少しだけ頬を赤くして、視線を逸らしながらハヤテはそう言う。 「今日、任務は?」  ソファから立ち上がりながら、ハヤテが訊ねてきた。 「え? あ………ああ、今日は午後からだ」 「午後……」  男の答えに、ハヤテは壁にかけられた時計を見た。  現在、午前10時。  午後1時に出発だとすると、あと3時間はある。 「………うざっ」  溜め息交じりの、ボソリとしたハヤテの呟きが聞こえてきた。  正午。  昼食の時間になった。  食卓に並べられたのは、今朝の残りのホットケーキと、バターとメープルシロップ。 「…今朝の、残りか……」  冷たくなったホットケーキを食べながら、男は呟く。  斜め向かい側の椅子に座っているハヤテは、新聞を広げて熱心に読んでいる。  砂の新聞はつまらないと言って、わざわざ木の葉から取り寄せている新聞だ。 「お前は、食べないのか?」 「食欲がありません」 「何かの病気か? それとも……まさか……」    妊娠じゃあ、ないだろうな?  そんな台詞を言いそうになり、慌てて口を噤んだ。  もし、口にしていたら確実に殺されるだろう。 「アンタの顔を見ていると食欲が失せるんです」 「……」 「それにアンタなんかの為にわざわざ食事を作りたくも無い。さっさと食べてさっさと任務に行きなさい」  そしてそのまま帰って来るな。  そう言いたげだった。  少なくとも、男にはそう感じられた。 「Sランクですか」  新聞に目を向けたまま、ハヤテはポツリと呟くように訊ねてきた。 「あ、ああ……」 「……そういえば、風影さんは殺されたんですよね。あの蛇オカマに」 「あ、ああ……」 「では、次の風影は誰になるんですか」 「………さあな。俺は聞いた事が無い」 「アンタでは、ないんですか」 「な……」 「一応、砂の実力者でしょう。つまりは砂で最強の忍という事ではないんですか。それなら……」   それは俺を認めているという事か……?  男が、ハヤテにそう訊ねようとした、その時だった。  ハヤテが、言葉を続ける。 「アンタでは、ないんですか。残念です。折角の金ヅルが……」 「……か、金ヅル!?」 「ええ。アンタは私の為に働くんです。そう、一生ね」 「…………」  ハヤテは、くすりと笑う。  腹黒さを窺わせる、そんな笑みだった。  だが、ふと男が考えてみた。    もし、俺が風影になり、こいつの金ヅルになったとしたら。    一生ハヤテの為に働く……ようになるのか?    それは即ち、一生一緒にいられるという事ではないのか……?    一生、一緒に……  そう考えると、悪くないかもと思ってしまう。   「もう12時半です。行かなくていいんですか」  男が考え事に耽っていると、ハヤテの小馬鹿にしたような素っ気無く、冷たい声が聞こえてきた。  ふと時計を見てみると、12時半を差していた。 「……あ、ああ……行って来る」 「行ってらっしゃい。一生帰って来なくても良いですよ。抜け忍になるなり、任務に失敗して自害するなり、敵に殺されるなり、自由に生き抜いて下さい」  微笑みもせず、ハヤテはぶっきらぼうに言う。 「俺が帰って来なかったら、お前はこうして遊んで暮らして行けなくなるんだぞ」 「何度も言ってるでしょう。私は、アンタの預金通帳やキャッシュカードの暗証番号を知っている、と。アンタが死んでも私は何ら困りませんから。それに……」 「……それに?」 「いえ。早く行ったらどうですか。遅刻は厳禁でしょう」 「あ、ああ……」  ハヤテに言われ、そのまま玄関へと向かう。 「もし、アンタが死んだら」  男が、外へ出ようと玄関の扉を開けようとした瞬間、再びハヤテが口を開いた。 「………?」  動きを止め、振り向いてハヤテを見詰める。  相変わらず、ハヤテは無表情のままだ。  仁王立ちになって見下すように男を見ている。 「もしかしたら、泣くかも知れません」 「…………」 「泣いてあげても、いいですよ?」 「……涙なんかいらん。俺が欲しいのは、お前の笑顔だけだ」 「なら、生きて帰って来て私の為に働き続けて下さい」 「ああ。望むところだ」  一度だけ、男はハヤテに向かって笑った。  その笑みに答えるように、ハヤテも少しだけ、微笑んだ。   〜終〜