+++ 太陽と海と月 +++  目を覚ますと、其処は見知らぬ場所だった。  白い壁。  白い布団。  白い部屋……。  此処は、何処だろう……  まだ寝惚けている頭で、ハヤテはそう思った。  布団から起き上がると、上半身裸だった。白い包帯が巻かれている。  誰が巻いたんだろう……。  そう思っていると、部屋の扉が開いた。  そして、姿を表わしたのは、あの時の男だった。  砂隠れの額あてをし、顔半分を布で隠している男。 「やっと目を覚ましたのか」  彼は、一言そう言った。 「貴様……っ」  咄嗟に、ハヤテは刀を手に取ろうとした。だが、其処には何も無い。 「ああ、あの刀なら此方が預かっている」 「返せっ!!」 「断る。再びあの舞をされたら色々と困るのでな」 「…………」 「しかし、あの舞は見事だった。その若さで身に付けているとは……」 「…………」  ハヤテは無言で、その男を睨んでいた。 「そう睨むな」  ため息混じりにそう呟くと、男はハヤテのベッドに腰掛けた。  そして、そっとハヤテの白い頬に触れた。慌てて、ハヤテはその手を払う。 「……警戒してるのか」 「…………」  当たり前だろう。  音と手を組み、木の葉を崩そうといている男だ。それに、自分を斬った男でもある。  普通の人間なら警戒するだろう。 「第三の試験予選試験管であるお前が、何故あの場にいた?」 「………」  男の問いに、ハヤテは何も答えずにぷいっとそっぽを向いた。 「任務か。……だろうな。大方、俺ではなくカブトの方を怪しいと睨んだのだろう」 「…………」  やはり、ハヤテは何も答えない。 「…………」  すると、男も何も言わずにそっと手を伸ばしてきた。  その手は、ハヤテの髪に触れた。  再び、ハヤテはその手を振り払う。 「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺はバキだ」 「…………」  一瞬、ハヤテも自己紹介をしようかと考えた。だが、ハヤテが何か言う前にバキが口を開いた。 「お前の名なら知っている。月光ハヤテだろう。あの予選の場にいたのだから覚えている」 「…………」  思わず、ハヤテはバキの顔を見上げた。  そして、何故、自分の名前を覚えているのだろう、と思った。  バキの顔を見上げると、彼もハヤテの顔を見ていたらしく、目が合った。  慌てて、ハヤテはバキから目を逸らした。  目を逸らした先には、窓がある。  窓の外を見てみると、空が赤く染まっていた。  夕焼けらしい。  あれからどれぐらいの時間が経ったのだろう……ふと、そう考えていると、バキは立ち上がって部屋から出て行った。  あれから、どうなったのだろう。  本当に砂と音が木の葉崩しを実行したとしたら、木の葉はどうなるのだろう。  もし、万が一木の葉がなくなってしまったら、自分はどうすればいいのだろう。  故郷を失った事になる。  今頃、木の葉はどうなっているのだろう。  もう、中忍選抜試験の本選が始まっているのだろうか。  本選の事を考えると、その審判になっている、ゲンマの事を思い出した。  自分が今此処にいるのだから、木の葉ではどうなっているのだろう。  行方不明者として扱われているのだろうか。  もしそうだとしたら、ゲンマはどう思っているのだろう。  寂しがってくれたのだろうか。  悲しんでくれたのだろうか。  今は、どう考えているのだろうか。  そう考えると、不安で仕方なかった。  もし、自分の事を忘れられていたら……?  考えたくも無い考えが、ふと思いついてしまった。    ゲンマもアオバもライドウもアンコもイビキもエビスも、  カカシもイルカも、イズモもコテツも、  皆自分の事を忘れて、何事も無かったかのように過ごしているとしたら……?  言葉にならないぐらいの不安が押し寄せてきた。  此処でじっとしていられない。  そう思い、ハヤテは部屋の中を見渡した。自分の服を探したが、何処にも見当たらなかった。  今、何をすればいいのだろう。  そう考えると、真っ先に思いつくのはやはり、木の葉隠れの里に帰る事だろう。  だが、此処にあのバキと名乗った男がいるとしたら、恐らく此処は砂隠れの里だろう。  今まで一度も砂隠れの里に来た事の無いハヤテとしては、  もし此処から逃げ出せたとしても、どうやって木の葉隠れの里に帰るのかがわからなかった。  当ても無く彷徨ってどうにか帰れたとしても、  木の葉隠れの里が砂と音の陰謀によってなくなっていたら、自分はどうすればいいのだろう。  窓の外の夕焼けは、段々と夜の群青に飲み込まれつつある。  その時、バキが部屋に戻ってきた。手には、何かを持っている。 「腹でも空いてるかと思って作ってきた」  と、彼の手には真っ白なお粥の入った小さな土鍋が握られていた。 「毒なんか入っていない」  ただ戸惑っているように、自分の前に置かれた土鍋を見詰めているハヤテに、バキはそう言った。 「……空いてないのなら無理して食う事は無い。……俺が毒見でもすれば食う気になるか?」  バキの言葉から考えると、どうやらこのお粥の中には、本当に毒は入っていないのだろう。  レンゲを手に取り、お粥を口に運んだ。  何故、この男はこんな事をするのだろう。  そして何故自分は、こんな事をされているのだろう。  お粥を口に運びながら、ハヤテはふとそう思った。  そう思うと、バキの顔を見ずにはいられなかった。  ハヤテがレンゲを持ったまま、少しだけ上目遣いにバキを見ると、バキも此方を向いていたらしく、再び目が合った。  今度は、バキが赤くなって慌てたように目を逸らす。 「どうして、私にこんな事をするんですか。殺さないんですか?」  一応世話になったからだろう。普段の口調で、ハヤテは土鍋を片付けたバキに訊ねた。 「カブトは多分、あの時の会話を聞いたお前を俺が殺したと思っているだろう。一応、影武者を用意しておいたが」 「……影、武者……?」 「お前の死体の影武者だ」 「……な……」 「音からしても、木の葉からしても、お前は死んだ事にされているだろうな」 「………」  死刑宣告を聞いたかのように、ハヤテは真っ青になった。元々青白い顔が、もっと青く見える。 「あの時聞かれた会話の内容を火影や他の木の葉の忍に知られなければ、別にお前を殺す理由は無い。  カブトにお前を殺したと思わせ、火影に逢いに行かせないようにするには、この砂に連れて来るしかあるまい」 「…………」  自分が、死んだと思われている……?  信じられないバキの言葉の無いように、ハヤテは言葉を失った。 「……何、落胆する事は無い。あのままお前が俺を倒していたとしても、木の葉はなくなる。この砂で暮らせばいい」  ハヤテがかなりショックを受けているという事を悟ったバキは、フォローするかのように言った。  だが、ハヤテは聞いていないようだった。  ただ、寂しそうに窓の外を見詰めているだけだ。  そんなハヤテを見て、バキはもう何も言えなくなってしまった。  そっと部屋から出ていった。  慰める言葉を見付ける為かも知れない。  部屋からバキがいなくなった言葉、ハヤテは暫くの間気付かなかった。  それ程、自分がショックを受け虚ろな空間を彷徨っていたのだ。    どうすればいいのだろう。  木の葉がなくなってしまったとしたら、自分はこの砂隠れの里で暮らすしかないのだろうか。  砂隠れの忍として?  そういえば、自分の額あては何処だろう。  忍装束も刀も額あてもない。  呆然としていると、再びバキが部屋に入ってきた。その手には、何やら布のような物を持っている。 「これを返しておこうと思ってな。繕っておいた」  と、バキは手に持っている布をハヤテに渡した。  ハヤテがそれを広げてみると、それは自分の忍装束と額あてだった。  ただし、額あては二つある。  木の葉マークがついている、正真正銘自分の額あて。  そしてもう一つは、砂のマークがついている、この砂隠れの里の額あてだ。 「木の葉はなくなる。だから、お前は砂の忍としてこれからは生きていかざるを得なくなるだろう。それも渡しておく」 「ふざけないで下さい。こんな物、受け取れません」  と、ハヤテは砂のマークが入った額あてだけは受け取らなかった。  まるで何事も無かったかのように元通りになっている忍装束を身に纏った。  風の刃で切られた筈なのに、その傷跡が服には残っていない。  それだけ、綺麗に繕ったのかも知れない。  そして木の葉の額あてを、いつものように髪を隠すように巻いた。  やはり、これが無いと落ち着かないようだ。 「……刀は?」  全て身に纏うと、もう一つ自分にとって大切な物が、無い事に気付いた。 「あれは……」 「一応、助けて頂いたわけですから、あなたを斬るつもりはありません。  あれは私の家に代々伝わる名刀なんです。あれが無いと、父や母に顔向けできません」 「……わかった」  必死なハヤテの表情に、バキは部屋を出て、何処かにしまっておいたらしい刀を持って戻ってきた。  その刀を受け取ると、ハヤテは嬉しそうに顔を綻ばせた。  それだけ、大切な物なのだ。 「……そんなに、大切な物なのか」 「ええ」  にっこりと微笑みながら、ハヤテは答えた。  その笑顔を見た途端、バキはまるで茹で蛸のように真っ赤になった。  そんなバキの反応に、ハヤテは不思議そうに首を傾げた。  とりあえず、そんなバキを見ないようにしてハヤテは受け取った刀を鞘から出し、刃を見てみた。  刃毀れは、見当たらないようだ。一先ず、安心した。  刀を鞘に戻すと、ハヤテはベッドから起き上がった。 「何処へ行く気だ?」  ハヤテの顔色を見て、バキはふと思った事を訊ねた。 「木の葉隠れの里へ帰るんです。お世話になりました」 「帰って、どうするんだ」 「砂と音が木の葉崩しをするんでしょう?私も戦うんです」 「お前は木の葉では死んだ事にされてるんだぞ。そのお前が突然現れたら誰だって驚くだろ。それに……」 「……それに?」 「木の葉は、無くなる。お前が行っても、死ぬだけだ。やめろ」 「自分の故郷に危機が訪れている事を知りながら何もしないなんて嫌です」 「だが、手加減したとは言え、まだ傷が癒えていないだろ。死にに行くようなものだ」 「ですが、こんな見ず知らずの安全な所で一人だけのうのうとなんてしていられません」  本気で言っているのだろう。  ハヤテは、本気で木の葉に帰ろうとしている。  バキはそう直感した。だが、助けたのをわざわざ死にに行かせるような真似も嫌だった。 「それに、私が死のうがあなたには関係ないでしょう?」  少し怒っているかのように、ハヤテは言う。 「折角助けた奴を死なせる為に戦場に行かせるわけにはいかない」 「死にに行くわけじゃありません。あくまでも戦いに行くんです」 「危険だ」 「当たり前です。戦場ですから。そんな事、承知の上で帰るんです」 「だがな……」 「……帰らせたくないんですか」 「…………」  心中通りの事を言われ、バキは黙った。 「何故ですか。私は此処の忍ではありません。此処にいる理由なんて……」 「今、木の葉にはカブトもいる。お前が生きているとわかれば、命が狙われる」 「もう戦場になっているんでしょう?木の葉崩しは実行されてるんでしょう?  それならもう、私が命を狙われる理由なんてありません」 「…………」  溜息をつきながら、バキは窓の外を見た。  もうそろそろ、彼も木の葉に行かなくてはならない時間だ。 「木の葉がなくなるにしろ、なくならないにしろ、もう少し待て」  ゆっくりと、優しくハヤテの細い両肩を押してベッドに座らせた。 「待つなんて出来ません」  ベッドに座らされたハヤテは、なおも立ち上がろうとする。  その度に、バキはそんなハヤテを再び座らせた。 「死んでると思われてるお前が帰れば、お前の仲間達は皆動揺する筈だぞ。  その隙を狙われたら、どうする?」  やっと、尤もらしい事を思いつき、バキは少し嬉しそうにそう言った。  すると、ハヤテははっとした表情を見せた。 「仲間を思うのなら、待つ事だ」  俯いたハヤテに、バキは優しく言った。そして、部屋から出て行った。  バキがいなくなった部屋の中で、ハヤテは再び窓の外を見た。  今、自分の故郷がどうなっているのか知りたくて、不安で仕方なかった。  木の葉隠れの里の事も心配だったが、バキが何をするのかも心配だった。  もしかしたら、あの男はハヤテの仲間たちを殺すのかも知れない。  一度、そんな考えが浮かんでしまえば、不安で不安で仕方なかった。    この隙にもしかしたら部屋から出れるかも知れない。  そう思い、ハヤテは座っていたベッドから立ち上がり、扉に手をかけた。  だが、鍵がかかっている。押しても引いても動かない。  窓は、開く事が出来ないタイプだったので、無理だ。  簡単に言ってしまえば、閉じ込められたのと同じだった。  溜息をつきながら、ハヤテは部屋の中をうろうろとしていた。  部屋の端にある机が、ふと目に入った。  綺麗に整えられているが、無理矢理整えたようにも見える。  机の上には、ペン立てと写真立てがあるだけだ。  その写真立てに入っている写真には、計5人の人物が映っていた。  大人が2人に、5、6歳ぐらいであろう子供が3人。  そのうちの子供3人は、あの砂の三兄弟、我愛羅とテマリとカンクロウのようだ。  ぬいぐるみを抱えている少年が我愛羅だろう。  身長と同じぐらいの扇子を持っている少女がテマリだろう。  消去法から、この我愛羅にも似た少年がカンクロウだろう。顔のあの模様がついていないが。  そして大人2人は。  一人はバキだろう。  砂の三兄弟の3人がまだ5、6歳ぐらいに見えるのにこの男は、今と同じ顔をしている。  若く見えるとも、老けて見えるとも言える。  そして、そのバキより少し背の低い、女のような顔つきの青年が映っていた。  顔つきからすれば、女と言ってしまっても疑われないだろうが、  身長から考えれば、恐らくは男だろうと考えられる。  誰だろう。そう思った。  写真のその青年は、此方に向かって、優しい笑みを浮かべている。  そして、その笑顔がとても似合っていた。  よく見てみれば、その青年は、バキと同じ服を着ている。  つまりは、砂隠れの里の忍装束だ。それから考えると、その青年も砂隠れの忍なのだろう。  次に、本棚を見てみた。  然程難しそうでもない本が並んでいる。  ところどころ隙間があるところから伺える事だが、あまり本が詰まってはいない。  一冊の本を取り出し、ぱらぱらと捲って見てみた。  そして、どれぐらいの時間がたったのだろうか。  ベッドの上でうとうととしていたらしい。  目を覚まし、窓の外を見てみると、空が夕焼け色に染まっていた。  綺麗な夕日だった。  夕焼けに見とれていると、不意に音が聞こえた。  ガチャリ。  扉の鍵が開けられる音だ。  バキが戻ってきた。  その服には、少々泥がついていた。  木の葉で、戦闘したのだろう。 「……木の葉は……どうなったんですか」 「木の葉崩しは失敗に終わった」  然程落胆した様子も見せずに、バキはハヤテの問いに答えた。 「……そうですか……よかった……」  すると、ハヤテは心底安心したようにため息をついた。  木の葉隠れの里はなくなっていない。  だがきっと、損壊は凄い事になっているだろう。  怪我人だけでなく、死者も沢山出てしまった事だろう。  ゲンマはどうなったのだろう。  ハヤテは、それが一番知りたかった。  すると、バキが口を開いた。 「ゲンマとかいう男を知っているのか……?」  心写しの術を行ったのだろう。  バキは、ゲンマの名を呟いた。  その途端、ハヤテの顔色が変わったのがわかった。 「……ゲンマさんが、何か……?」  平静を装っている事がわかる。 「いや、お前が寝言でよく呟いていたからな。それに窓の外を見ながらも呟いていた」  気付かなかった事を指摘され、ハヤテは赤くなった。 「……もしや、そいつは……額当てを逆に巻いて、千本を銜えた目つきの悪い男の事か?」  バキは、ゲンマの特徴を言った。  思わず、ハヤテはその言葉に反応した。 「やはりな。はたけカカシがそう呼んでいたからな……」  コピー忍者として、カカシは他の里にも知られている。  だから、この男がカカシの名を知っていても、さほど驚く事はなかった。 「ゲンマさんが、どうかしたんですか」  早く話せと言わんばかりに、ハヤテはバキに迫る。 「あの男なら……」 「…………」  ハヤテは、バキの目をじっと見た。  その視線に気付いたバキは、嫉妬にも似た気持ちを抱いていた。 「あの男なら、俺が殺した」  バキが言い終わった、その途端の事だった。  ハヤテは、手に持っていた刀を鞘から出し、バキに襲い掛かっていた。  あまり慌てた様子も見せずに、バキはその刀の先を捕らえた。  来るとわかっている攻撃を見切る事など、バキには簡単な事だった。 「冗談だ。あの男なら生きている」 「……何故、そんな冗談を言ったんですか」 「そう言ったらお前はどんな反応をするのか気になったもんでな」 「……最低です」  軽蔑する目をバキに向けながら、ハヤテは刀を鞘にしまった。  怒るだろうとは思っていたが、こんなに怒るとは思っていなかった。  バキは、少々戸惑いを覚えた。 「ただし、三代目火影は死んだ」 「……え!?」  思わず、ハヤテは刀を取り落としそうになった。 「……それも冗談でしょう? 人の生死を冗談で語らないで下さい」 「これは、本当の事だ。大蛇丸との戦いで死んだそうだ。大蛇丸も手傷を負ったそうだが……」 「…………」  何も答えられず、ハヤテはバキの顔をじっと見ていた。  そして、その表情からこれは本当の事なんだとわかった。 「……では、葬儀は……? 五代目は……?」 「さあな。俺は木の葉の忍じゃないからわからん」 「…………」  ハヤテは、落胆したように俯いた。  この場にいるのが、もどかしかった。  早く、木の葉に帰って自分が無事である事を皆に知らせたい。  三代目の葬儀に出たい。  そして……。  何よりも、ゲンマに逢いたかった。  手に持っている刀を、ぎゅっと握った。  すると、その時だった。 「センセー」  少女の声とともにノックもせず扉が開いた。姿を見せたのは、テマリだった。 「テマリ、戻ったのか」 「センセ、我愛羅が……」  バキの顔を見ながら、その少女はそう言った。  だが、次の瞬間、その少女の視線はバキから、そばにいるハヤテに移った。 「……な…………」  驚いたらしいテマリは、思わずハヤテを指差した。  そんなテマリの手を引き、バキは部屋を出た。 「何で木の葉の忍が此処にいるんだよ」  少々口の悪い、テマリの声が扉の向こうから聞こえた。 「これには、少々わけがあるんだ」 「わけ? 何だよ、そのわけって」 「長くなるから今は言えん。それより、我愛羅がどうしたんだ」 「そうだ、我愛羅がうずまきナルトとの戦いで手傷を……」  二人の声が遠ざかる。  あの我愛羅と、あのうずまきナルトが戦った……?  しかも、その戦いで我愛羅が手傷を?  信じられない光景が目に浮かんだ。  いつの間にか、窓の外の夕焼けは消え、夜の色が広がっていた。  目を覚ますと、窓の外が明るくなっていた。  又、一日が過ぎてしまったようだ。  こうしている間にも、木の葉ではきっと復興作業が続いているだろう。  もしかしたら、今日は三代目の葬儀の日かもしれない。  もどかしくてもどかしくて、バキが運んできた食事の味もわからなかった。  バキが何か言っていたようにも感じたが、何も聞こえなかった。 「暇なら、本棚の本を読んでいて構わない」 「…………」 「聞いてるのか?」 「…………」 「……俺はこれから任務だが……それが終わったら……」 「…………」  聞こえているが無視しているのか、それとも本当に聞こえていないのか、ハヤテは窓の外をじっと見ている。  まるで、翼をなくした鳥のようだった。  いつか又、空を飛びたいと願う、鳥のようだ。  自らに翼がないと自覚しているが、夢見る事は忘れていない、そんな目をしている。  バキは、そう感じた。  初めて逢った(本当は見かけた)時より、髪が伸びたように見える。  そっと手を伸ばし、その黒い髪に触れてみた。  光に当てると、濃い紫にも見える、そんな黒髪だった。  触れてみても、相変わらずハヤテは窓の外ばかりを見つめている。  まるで、此処にバキがいる事に気付いていないかのように。  その髪は思っていたより、柔らかかった。  肌が白いだけに、髪の黒さが際立って見えるようだった。  そのまま、その白い肌にも触れようとした、その時だった。  突然、手首を掴まれた。  ハヤテの手だった。  その白くて細い腕からは連想出来ない程、強い力だった。  その細さから、非力だとばかり思い込んでいたからかもしれないが。 「私に、触らないで下さい」  こちらを向かず、窓の外をじっと見詰めながら、静かに淡々とハヤテは呟くように言った。 「あなたに触られていると……」 「…………?」 「気が狂いそうになる」 「…………」 「怒りと憎しみで……」 「…………!」 「助けて頂いたわけですから、あなたを殺すつもりはありません。  ・・・が、このままだと斬り付けてしまうかも知れません」 「…………」 「任務なのでしょう? 早く行ったらどうですか。同僚の方が待っている筈です」 「…………」  ハヤテは、バキの腕を離した。  握られた手首は、赤くなっている。  その手を摩りながら、バキは部屋を出た。  あいつは、俺を憎んでいるのか。  …………  そうだろうな。  そう思いながら、バキは任務に向かっていた。  笛の音が聞こえる。  その音がする方へと向かっていった。  閉じ込められた部屋の中で、ハヤテは再び写真立ての写真を見ていた。  何故、あの男はこの写真を飾っているのだろう。  個人的に、気に入っている写真なのだろうか。  それとも、別の理由があるのだろうか。  その写真立てを持ったまま、ハヤテはベッドに腰掛けた。  そして、窓の外を見た。  真昼の太陽は、燦々と光を照らしている。  太陽の光に目を細めていると、突然勢いよく部屋の扉が開いた。  入ってきたのは、バキだった。  とても深刻そうな顔をしている。  そのまま、ハヤテの方には見向きもせずに、机に向かった。  唇を噛み締めながら、両手で頭を抱えている。  次第に、噛み締めている唇の端から、血が滲んで来るのが見えた。  思わず、ハヤテはベッドから腰を上げ、写真立てを持ったままバキへ近づいていった。  そして、彼の目の前にその写真立てを置いた。  すると、漸くバキは顔を上げ、すぐ隣にいるハヤテを見上げた。 「この方は、誰ですか」  そっと、その写真の中で、バキの隣で微笑んでいる青年を指した。 「あなたの、奥さんですか。それとも……」 「ば……っな、何を言う! 夜叉丸は男だ」 「夜叉丸……という方なんですね」 「……同僚だった男だ」 「だった……?」 「夜叉丸は、死んだ」 「…………」 「あの任務がもし俺に回ってきたなら、俺が確実に死んでいただろうな」 「……何か、あったんですか」  然程心配している様子も見せずに、ハヤテは訪ねた。  バキの様子から、何かあったと気付いたのだ。 「……風影様の、死体が見付かった……」  言いづらそうに、バキは言った。  再び、彼の視線が俯いた。 「風影……死体?」 「今まで、大蛇丸かカブトが風影様を演じていたのだろう……  俺達、砂の忍はまんまと大蛇丸に騙されていたんだ……」 「…………」 「お前を殺さなくて良かった……お前を殺す理由など、こちらにはもともと無かったんだ」 「…………」 「何故、今まで気付かなかったんだ」 「…………」 「……木の葉に、帰るか」 「……ハイ」 「帰り方、わかるか」 「……いえ」 「なら、明日にでも送ろう。すまんが、俺は今日は疲れた……」 「ハイ」  ハヤテの答えを聞くと、バキは立ち上がった。  そして、部屋から出て行こうとする。 「あの」 「……何だ」 「この部屋は、あなたの部屋ではないんですか?」 「確かに、此処は俺の部屋だが」 「私が此処で寝ている間、あなたは何処で……」 「そんな事、お前は心配しなくていい」  そう言うと、バキは部屋から出て行った。  足音が遠ざかる。  足音が消えた……そう思った瞬間、扉が開いた。  部屋に入ってきたのは、大きな瓢箪を背中に乗せた少年、我愛羅だった。  鋭い目付きでハヤテをじっと見詰めながら、こちらに近づいてくる。  何故か、殺気は感じられなかった。  予選の時とは違う雰囲気を漂わせていた。  そっと、我愛羅が近づいてくる。  足音は聞こえない。  静かに、近づいてくる。  思わず、ハヤテは我愛羅の視線から、目を反らせられなかった。  ベッドに腰掛けているハヤテの目の前に、我愛羅は立った。  すると、そっと、我愛羅は片手を差し伸べてきた。  その手には、何か握られている。  よく見てみると、ぬいぐるみだった。  パンダのぬいぐるみだ。 「……パンダ?」 「…………」  戸惑っているハヤテを、我愛羅は無言でじっと見詰めている。  ハヤテは、我愛羅の顔と、彼が握っているパンダのぬいぐるみを交互に見ていた。  すると、我愛羅はそのパンダのぬいぐるみを、ハヤテの胸に押し付けた。 「え……え?」  ハヤテがきょとんとしていると、我愛羅は表情一つ変えずにくるりと方向転換し、部屋から出て行った。  何が何だかわからずにいるハヤテは、とりあえずそのパンダのぬいぐるみをじっと見詰めた。  ところどころ繕ってあり、古さが伺える。  何故これを私に……?  ハヤテが戸惑っていると、再び勢いよく扉が開いた。姿を見せたのは、バキだった。  息を少し切らせている。  顔を覆っている布が、捲れたような気がした。 「な……何もされていないな!?」  バキは、ハヤテの細い両肩をつかみ、少々揺さぶりながら訪ねた。 「え……ええ……まあ……」 「ん?」  するとその時、バキはハヤテが持っているパンダのぬいぐるみに気付いた。 「これは……」 「先程、我愛羅くんが……」 「我愛羅が?」 「ええ……」 「これはあいつが昔から気に入っていたぬいぐるみだ」 「……それを、何故私に?」 「さあ……俺にはあいつが何を考えているのかはわからん」  ハヤテは、手にしているぬいぐるみを凝視していた。  何処か愛嬌のある顔をしているぬいぐるみだ。  翌日。  今日は、やっと木の葉へ帰れる。  どのぐらいぶりだか、わからないぐらいだ。    ハヤテは浴衣を脱ぎ、繕われている木の葉の忍服に身を包み、鞘に納められた刀を握る。  そして、バキがやって来るのを一人、待っていた。  その間。  バキはバキで、自分の部屋でハヤテを木の葉に連れて帰る為の、準備をしていた。  すると、不意に扉がノックされずに開いた。  顔を上げると、其処には我愛羅がいた。  相変わらず、何を考えているのかわからない目をしている。  テマリやカンクロウから、何かが変わったとは聞いていたが、  こう見ては何か変わったところがあるようには見えない。 「何だ? 何か用か?」 「…………ぬいぐるみ」 「ん? ぬいぐるみ? ……ああ、あのパンダのぬいぐるみか。  それがどうかしたのか? まさか、今更惜しくなったのか? それならそう言って返してもらったらどうだ」 「違う」 「……何が」 「あのぬいぐるみは、お前が再びあいつに会いに行く為の口実を作ってやっただけだ」 「…………」 「こうなるんだったら、俺があんな事してやらなくても良かったんだな」  まるで揶揄するような言い方だ。 「…………木の葉に行って来る」  そう言うと、我愛羅を残して部屋を出た。  そして、ハヤテの待つ部屋へと入っていった。 「……行くか」 「ハイ」  バキの言葉に、ハヤテは笑顔で答える。  そんなハヤテの笑顔を、バキは複雑な心境で見ていた。  帰したい。  帰したくない。  そんな相反する二つの思いを、バキは抱えていた。  ずっとそばにいたい。  だが、そうする事によって、ハヤテは不幸になる。  いや。  不幸には、させない。  幸せにしてみせる。  幸せにしてみせる自信ぐらいは、持ち合わせていた。  だが、それでは自分勝手すぎるだろうという事ぐらい、自分でもわかっていた。  確かに、ハヤテがそばにいる事によってバキは幸せになれる。  ハヤテも幸せにしてみせると思いつつも、ハヤテ本人がそれで幸せとは限らない。    愛する人には、幸せでいて欲しい。  だから、ハヤテを木の葉に帰す事にしたんじゃないか。  木から木へと飛び移りながら、バキは自分自身にそう言い聞かせていた。  時々、後ろを振り返る。  木の葉の忍装束に身を包み、刀を背にしているハヤテも木から木へと飛び移っては付いて来る。  あの日、あの時、あの夜、会った時と同じ姿だ。  砂にいる時は、全く微笑みさえもしなかったハヤテが、今は笑っている。  木の葉に帰れるからだろう。  俺と一緒にいる事によって、砂にいる事によって、ハヤテは笑わない。  それどころか、確実に不幸にしている。    こいつは、俺と一緒にいるよりも、木の葉にいる恋人のところにいるのが一番だ。   「此処を抜けると、木の葉に着く」  木から降り、地に足を着けるとある方向を指差してみせる。 「この辺は、来た事あるのでわかります」 「なら、大丈夫だな」 「ハイ。……あ、お世話になりました」  ハヤテはそう言って、バキに向かってぺこりと頭を下げた。 「礼には及ばん。俺は俺が望む事をしたまでだ」 「ですから、その事に対してお礼を言っているんです」 「…………」  俺を、恨んではいないのか?  一瞬、そう訊ねそうになった。  だが、答えはわかっているような気がした。  だから、訊ねられなかった。  今、此処で別れれば、きっともう二度と逢えなくなるのではないだろうか。  そんな想いが、胸を渦巻いた。 「では、さようなら」  微笑みながら、ハヤテはバキに向かってそう言った。  それが、最後だった。  それが、ハヤテがバキに見せた初めての笑顔で、最後の笑顔となる。  そして、それと同時にその言葉が、最後だった。  瞬身の術で、ハヤテは姿を消した。  名前通り、まるで疾風のように。  これが、罰なのかもな……。  あいつを、独り占めしようとした……。  そう思うと、バキは自嘲気味に笑っていた。  もう少し、後一秒でもハヤテが姿を消すのが遅かったら、  バキはもしかしたらハヤテを抱き寄せていたかも知れない。  そしてそのまま、二度と離さなかったかも知れない。  このまま、ずっと俺と一緒にいてくれ。  そんな台詞を、恥かしげも無く言っていたかも知れない。  この奥に木の葉があるであろう場所を一瞥すると、バキは声に出さずに呟いていた。  幸せになれ、と。  きっと、今ハヤテはゲンマとかいう男と幸せそうに微笑んでいるだろう。  ハヤテの幸せそうな笑顔を思い出すだけで良かった。  例えその笑顔が、自分に向けられていなくても。 〜終〜