+++ 月影心中 +++  美しい女だった。  男なら誰でも見惚れる程の美しさ。  それを、加流羅は持っていた。  それと同時に、加流羅と同等の美しさを、彼女の実弟の夜叉丸も持っていた。  透けるような肌。  茶の目。  薄いクリーム色の髪。  幼さの残る顔。  どれをとっても、彼女と彼は姉弟としか見えない。  彼女と同じような容姿だったからだろうか。  俺が夜叉丸に惹かれた理由は。  そんな事を考えながら、花束を持った男は、病室へと向かっていた。  加流羅が入院している、病室へと。  彼女の病室が近付くにつれ、叫び声が聞こえてきた。  守鶴の影響か…  そう思いながら、男は足を早める。  彼女は今、妊娠している。  子供を宿しているのだ。  自分の主である、風影の子を。  そして、その子供は最強の忍となるべく、風影の術によって砂の守鶴を宿している。  加流羅には時々、その術の影響で、守鶴の人格が出てくる時がある。  そうなると、辺り構わず罵声を喚き散らす。  近く臨月を迎えている彼女は、もう以前の彼女ではなかった。  あの、美しさは微塵も感じられなかった。  その変貌振りに、砂の忍達は殆どが怯えて近寄ろうとはしなかった。  風影さえも。  最初の頃は、風影は加流羅の見舞いによく訪れていた。  忙しい時間の合間をぬって。  だが、近頃は全く来ない。  たまに来ても、以前のように加流羅の心配はせず、その身に宿している、自分の子となる予定の最強の忍の事ばかり気にかけている。  加流羅は、風影を愛していた。  だから、今まで二人の子を産み、そしてこの里と、何よりも風影の為に最強の忍びを生むべく、その身に守鶴を宿す事に賛同したのだ。  罵声が聞こえてくる病室の扉をノックする。  すると、夜叉丸が返事をし、扉を開けた。 「あ」 「…加流羅は?」 「うん…」  夜叉丸が俯き加減に、姉のベッドを振り返る。  ついさっきまで守鶴の人格が表に出て暴れかけていた加流羅は、今は落ち着いてベッドの上に横になっていた。 「加流羅の好きな、カーネーションを買って来た」  そっと、男は持っている花束を、ベッドの上の加流羅に差し出す。  まだ二十代なのに守鶴の影響で皺の出ている片手を差し伸べ、カーネーションに触れる。  薄いピンク色のカーネーション。  この色が、加流羅は一番好きだった。  その事を、男は夜叉丸から聞いていた。 「綺麗な色。ね、姉さん?」  にっこりとした笑顔で、夜叉丸はベッドの上の姉に微笑みかける。  加流羅も、それに笑顔で応える。 「でも、この色の花…男が買うにしてはちょっと恥かしくない?」 「恥かしいのか?」 「…恥かしくなかったの?」 「いいや、特には」 「……」 「そういや、店員がじろじろと俺の顔を見ていたが…」 「それだ」 「何がだ?」 「…ううん。ありがとう」 「礼には及ばん」  夜叉丸の眩しいぐらいの笑顔に、男はそっと目を伏せる。 「それじゃあ、この花、花瓶に生けて来るね」  夜叉丸はそう言って、男が持って来た花束と、空の花瓶を持って笑顔のまま病室から出て行こうとする。 「夜叉丸」  出て行こうとする夜叉丸の名を、男は呼んだ。 「ん?」  花束と花瓶を持った夜叉丸は、立ち止まって振り返る。  薄いピンク色のカーネーションが、夜叉丸の幼い顔のすぐ隣で揺れている。  男は自分が持って来た花束から一本だけカーネーションを取り出す。  それを、ベッドの上で横になっている加流羅の薄茶色の髪に、そっと挿した。 「よく似合う」 「ホント! 姉さん、似合ってるよ」  男と夜叉丸に笑顔でそう言われ、加流羅はふっと微笑んだ。  そして。 「ありがとう……」  今にも消えてしまいそうな程、か細い声で早夜は呟いた。  夜叉丸は花瓶に花を生けに、病室から出て行った。  かくして、病室には男と加流羅の二人だけが残された。 「……風影様は、見えられるか?」  自分でも答えのわかっている疑問を、加流羅に投げ掛けてみた。  加流羅は、やはり悲しげに首を数回軽く横に振った。  やはり、加流羅は風影様を愛しているのか……  わかりきってはいたが、今の加流羅の悲しげな表情からして、その瞬間、その事実を突きつけられたように感じた。  どうすれば、彼女の悲しみを取り消す事が出来るのだろう。  そればかりが、男の脳裏を支配していた。  こう思うのは、きっと加流羅を愛しているからだろう。  だが、加流羅は風影様の妻。  つまりは、風影様のもの。  俺の、主人のもの……。  俺が手に入れられるような代物では、無い。  だが、何度そう思っては見ても、自分でも驚くぐらい落ち込みは無かった。  加流羅がこんなに悲しんでいるのは、風影様が見えられないから。  それなら、風影様がおいでになれば、加流羅は微笑むのか。  俺がこの世で唯一見惚れたあの笑顔を、風影様に向けるのか……  思えば、あの笑顔も俺に向けたものではなく、風影様に向けたものだった。  此処に風影様がおいでになれば、加流羅は喜ぶ。  加流羅は微笑む。  加流羅の笑顔の為に、俺は何ができるだろう。  風影は、今は忙しい。  だから、此処に見えられない。  そう、男も夜叉丸も加流羅に説明していた。  加流羅も夜叉丸も、その説明で納得はしていた。  相手は、この砂隠れの里の里長。  忙しいのはわかりきっている。  どうしたら………… 「お待たせ」  その時、夜叉丸が戻ってきた。  その手には、ピンクのカーネーションを見事に生けた花瓶がある。  夜叉丸はその花瓶を、早夜のベッドの枕もとにある棚にそっと置いた。 「本当に、綺麗な花……」  夜叉丸は、男にしては花などが好きだった。  嬉しそうに、そのカーネーションを撫でる。 「ねぇ」  面会時間が過ぎ、病室から出ると、夜叉丸は隣の男に声をかけた。 「……姉さん、子供が産まれたら……し、死んじゃうのかな……」  そう訊ねる夜叉丸の細い肩は、震えていた。  男より、10センチ以上低いその体ごと、震えている。  思わず、男はその身体を抱き締めたい衝動に駆られた。 「死なない。俺が守ってみせる」  そう答えるのは、簡単だ。  言うのだけは。  だが、そんな言葉、ただの気休めだと、男自身も、夜叉丸もわかっていた。  それでも、夜叉丸は微笑んだ。  安心したように。 「……うん。ありがとう」  夜叉丸のその笑顔を見るだけで、男も安心できる。  だが、それと同時に思ってしまう。  俺が、何を出来るだろう、と。  何をしてやれるだろう、と。  数日後。 「やしゃー」  任務の報告書を提出しようと、風影の屋敷へと入った。  すると、そんな高い声が聞こえて来た。  風影の長女、テマリだ。  加流羅が入院している今、風影の二人の子、テマリとカンクロウは加流羅の弟の夜叉丸が世話をしている。  加流羅と生き写しの夜叉丸だからか、テマリもカンクロウも夜叉丸には懐いている。 「バキだー」  扉を開けると、夜叉丸に抱き付いていた幼い少女が、男に近付いてきた。  よくこの屋敷に来るからか、テマリは男に懐いていた。  外見が恐いからか、カンクロウはまだ懐いていない。  今も、夜叉丸の後ろに隠れている。  抱き付いてきたテマリを、男は抱き上げる。 「テマね、おっきくなったらバキのお嫁さんになるー」  風影が聞いたら失神してしまいそうな事を、この幼い少女は軽々と言う。 「楽しみにしています」  風影の娘を、ガッカリさせないような事を答える。  すると、テマリは嬉しそうに笑う。  腕の中のテマリを下ろすと、夜叉丸の方を向いた。  その途端、彼の後ろに隠れていた幼い少年が、ますます夜叉丸の後ろに隠れる。 「あまり恐い顔してるとカンクロウさまが怯えるよ」 「……俺は元々こういう顔だ」 「うん、わかってるけど」  むくれたような男の言い方に、思わず夜叉丸は微笑む。  まるで、おもしろいものを発見した少年のように。 「わかってるなら言うな」 「来てたのか」  その時、風影が現われた。 「風影様。報告書の提出に参りました」 「そうか」  男が差し出してきた報告書を、風影は受け取った。  だがそれを見もせずに、風影は男の足元にいる、自分の幼い娘に目を向けた。 「テマ〜。ほら、父様のところへおいで」  両手を伸ばし、笑顔でテマリにそう言う。  だが、テマリは男の足元にガッシリ掴んでいる。 「テマ? おいで」 「……テマリさま。風影様がお呼びです」  そっと、男が自分の足元にガッシリ掴まっているテマリに言った。  だがそれでもやはり、テマリは男から離れない。 「…………お前、俺の娘に何をやった?」  機嫌を損ねたらしい風影は、ギロリと男を睨んだ。 「い、いえ、な、何も!」  里長に睨まれ、男は戦きながらも首を必死に振った。 「じゃあ何故お前にそんなにも懐く?」 「それは……わかりません」 「……テマ、そんなにそいつがいいのか?」 「うん!」  風影の問いに、テマリは笑顔でこくりと大きく頷いた。 「テマね、おっきくなったらバキのお嫁さんになるー」  そして心底嬉しそうに、先程と同じ事を、そう父に向かって言ってのけた。 「な、な、な、な…………!」  娘の信じられない言葉に、風影は倒れそうになる。 「か、風影様……! お気を確かに!」 「五月蝿い!」  心配そうな夜叉丸の声にさえも噛み付く。 「俺より老け顔の癖して……!」 「……お言葉ですが、それは関係無いと思いますが」 「五月蝿い!」  すっかり機嫌を損ねた風影は、男の言葉にも噛み付く。 「何で、こんな10代の若造に俺は負けたんだ……」 「「…………」」 「…………よしッ!」  男を睨みながら、風影は突然叫んだ。 「よし、わかった。お前ならいいだろう。テマが二十歳になったら、お前をテマの婿にしてやる」 「…………えぇ!?」 「その頃、お前は35だな。……生きていれば、な」 「…………」  本気かこの人は、という目で男は風影を見る。  だが、風影は笑っている。  本気か冗談なのか、見当がつかなかった。 「テマの子ならさぞかし可愛くなるだろうな……だが、お前の血が半分入るとなると難しいな……」 「……それは私に対する侮辱ですか?」 「ムッ! お前に義父さんと呼ばれるのはかなりの屈辱だな」 「……それも私に対する侮辱ですか?」 「この子もいつかは嫁ぐのか……俺のもとを去って行くのか……父様は悲しいぞ、テマ」  男の足にしがみついたままのテマリと視線を合わせる為に座り込む風影。 「何ちゅー親バカな……」  少し離れた場所で、心底呆れたようにボソリと呟いたのは夜叉丸。 「何だと!」 「まだテマリさまは3歳じゃないですか。それなのに17年後の事を今から考えて……」 「里長はなぁ、どんな状況をも想定しておかなきゃいけないんだよ」 「またまた。嘘ばっか。いっつも行き当たりばったりじゃないですか」 「…………さあてと、仕事すっかな」  欠伸するように両手を伸ばし、風影は自分の執務室へと入っていった。 「あ、もう行くの?」  屋敷を後にしようとする男の後ろ姿に向かって、夜叉丸は訊ねる。 「ああ。そもそも俺は報告書を提出しに来ただけだ」  夜叉丸の言葉に、男は振り向きながらそう答える。  そして、屋敷を後にした。  だが。  男が風影の屋敷から少し離れた場所で、突然後ろから背中を突付かれた。  振り向くと、其処には夜叉丸とテマリがいた。 「……どうした?」 「テマリさまと散歩に来たの」 「バキー」  夜叉丸の足元にいたテマリは、すぐに男の足にしがみ付く。  男は、そんなテマリを抱き上げた。 「散歩? カンクロウさまは」 「風影様に押し付けてきちゃった。暇そうなんだもん。暇なら姉さんのお見舞いにぐらい行ってくれたらいいのに」 「…………」 「もう……、風影様は……姉さんの事…………、愛して、ないの……かな…………」 「……風影様のお部屋には、加流羅の写真が飾られてたぞ」 「…………本当?」 「そんな嘘をついてどうする」 「…………嘘でも、嬉しい」 「嘘じゃ……」 「ううん、いいんだ」  夜叉丸は、男に向かって笑顔を浮かべた。  加流羅そっくりの笑顔を。 「……姉さんは、どうして風影様を選んだんだろう……。バキの方が、優しいのに……」 「…………」 「でも、もし姉さんがバキを好きになったら、僕、絶対敵わないからな……。これで、良かったのかな……」 「……夜叉丸………」 「バキも、姉さんのこと、好きなんでしょ?」 「…………」 「いいよ、隠さなくても。わかってるから。好きでもない女の人のお見舞いになんて、普通来ないよね。……あ。自分の主の妻だから来るのかもな………」  俯きながら語る夜叉丸は、少し微笑んでいる。  だが、その目には光るものがあった。  その事に、男は気付いていた。  だが、それを見ても自分は何でもできないとわかっていた。  それが、腹立たしかった。 「僕と姉さんって、そっくりでしょ? よく間違われたんだ。風影様でも、間違えてた。……でも、バキだけは間違えなかった。間違えた事なんて、一回も無いよね」 「ん……そうだったか。確かにお前と加流羅はそっくりだが、違う顔じゃないか」 「…………」  男のその答えを聞いて、夜叉丸は今度は嬉しそうに微笑んだ。  その目には、まだ涙が光っている。 「やしゃー、泣いてるのー? どーしてー? バキが苛めたのー?」  男の腕の中にいるテマリは、目に涙を浮かべている夜叉丸を見て、少し不安げに訊ねる。 「……いいえ。バキは、とても優しいですから。私を苛めたりしませんよ?」  涙を指で拭うと、夜叉丸はテマリに向かって笑顔を浮かべた。 「じゃあ、どーして泣いてるの?」 「……私は、とても泣き虫ですから」  男の腕の中のテマリの頭を撫でてやりながら、夜叉丸は尚も笑顔を浮かべたままだ。  不意に男は腕の中にいるテマリを下ろした。  そして、突然夜叉丸を抱き寄せた。 「ちょ、ちょ……っ!」 「お前が、いけないんだ」 「え……?」  男の言葉に、きょとんとしながらも夜叉丸は男の腕を抵抗しない。  夜叉丸の言葉に、返事する代わりに男は夜叉丸の細い身体をもっと力を入れて抱き寄せた。 「苦しい……」 「…………」 「……テマリさまが、見てるよ」  少し照れてるのか、夜叉丸は男の耳元でそっと囁いた。  すると、男の腕の力が少し、弱まった。   「離し……」  夜叉丸が言いかけた、その時だった。  男に、唇を奪われた。  軽く触れ合う程度の、口づけだった。 「お前が泣くから、その涙を抱き寄せたくなる」 「…………」 「男なら、そう簡単に泣くな」 「……うん」  テマリには聞こえない程の小声で、二人は声を互いに掛け合った。  そして、夜叉丸は涙を袖で拭うと、男から離れた。  男の足元で、テマリはじっと目の前にいる二人を見詰めている。 「……何してるの?」  小首を傾げ、テマリは二人に訊ねる。  だが、夜叉丸は顔を赤くし、何て答えたらいいのかわからずに四苦八苦していた。 「え、あ、そ、その…………。う……うーんと……えぇっとぉ…………! そ、そうだ! ご、拷問を受ける訓練です!」 「ごーもん?」  夜叉丸の説明に、テマリはますます首を傾げる。  そんなテマリを見て、夜叉丸はますますどうしたら良いのかわからずに四苦八苦してしまった。 「テマリさま」  そんな夜叉丸に、助け舟を出すかのように男が口を開いた。  テマリと夜叉丸は、男の顔を見る。  不意に、男はテマリを抱き上げる。 「残念ながら、私はテマリさまをお嫁には頂けません」  突然、腕の中のテマリにそう言いだす。 「えー、どーしてー?」 「私には、婚約者がいるのです」 「こんにゃく?」 「結婚を約束した者です」 「だれ?」 「夜叉丸です」 「……えええええ!?」  男の言葉に、一番驚いたのは夜叉丸だった。 「私は夜叉丸を誰よりも愛し、又、夜叉丸も誰よりも私を愛しているのです」 「……そなの?」 「そうです」  小首を傾げるテマリに、真顔で男は頷く。  その隣で、夜叉丸はただ顔を真っ赤にしているだけだ。 「やしゃー、ほんとなのー?」  テマリは振り返って、夜叉丸にそう尋ねる。 「う……っ」 「ほんとなのー?」 「うう……っ、て、テマリさまが信じちゃってるじゃないかー!」  真っ赤になった夜叉丸は、男に当たった。 「本当の事だろうが」  夜叉丸の言葉に、男は平然と答える。 「ば、バカー!!」 「だが、お前はそんなバカに惚れているんだ」 「…………っっ! も、もう知らない!!」  ぷいっとそっぽを向き、夜叉丸はテマリを男から奪うように取り上げ、早足で歩き出した。  だが、あまり慌てずに、男はそんな夜叉丸の後について行く。  そんな、笑顔に包まれた日々がこれからも続くものだと思っていた。  思い込んでいた。  加流羅が、死んだ。  守鶴を宿した子供を産み落として。  我愛羅。  我を愛する修羅。  それが、加流羅の付けた、その子供の名だ。  テマリ、カンクロウと同じように、その我愛羅も夜叉丸が世話をする事となった。  その日、生まれたばかりの我愛羅を抱き上げ、その子の顔をじっと見詰めながら、夜叉丸は呆然としていた。 「加流羅の、忘れ形見だ……」 「わかってるよ」  男の言葉に、まるで噛み付くように夜叉丸は答える。  大切な、姉。  たった一人の姉。  大好きな姉。    夜叉丸にとって、加流羅の存在は絶対だった。  それがわかっていたから、わかりきっていたから、男は夜叉丸に何と言ってやればいいのか、わからなかった。  慰めればいいのか?  だが、どうやって……?  仕事柄、人の死に向き合う事は、良くある。  だが、良くある事だからこそ、慣れ切ってしまっていた。  医療班である夜叉丸も人の死には慣れてはいる筈だった。  だが……  見慣れている筈の夜叉丸の姿が、それからは何故か弱々しく見えた。 「姉さんは、この里を恨んでるんだよ」  ある日、夜叉丸はそう語った。  いつも笑顔を、まるで花のように咲かせていた夜叉丸も、最近はあまり笑わなくなっていた。  たった一人の血の繋がった家族であり、大切で大好きな存在だった加流羅がいなくなってから。 「風影様は、姉さんを犠牲にしたんだ……」 「夜叉丸」  滅多な事を言うな、と夜叉丸を窘める。  すると、夜叉丸は普段は滅多に見せない顔を、男に向けた。  怒っている顔だ。  キッ、と男を睨んでいる。 「姉さんを、愛してたんでしょう? 愛してた人が、殺されたんだよ? この里に。里長である風影様に……」 「…………加流羅は、風影様の妻だ。里長の妻になったからには、加流羅も覚悟をしていた筈だ」  夜叉丸を落ち着かせようと、両肩に優しく手を置いたが、夜叉丸はそんな男の手を払った。  男は、確かに加流羅を愛していた。  だが、加流羅は、風影を愛した。  その“代わり”のように、男は加流羅の弟の夜叉丸を愛した。  夜叉丸は、男を愛してくれた。  夜叉丸は、男にとって、自分は姉の“代わり”である事を知っていた。  それでも良かった。  だが。  男は、知っていた。  夜叉丸は、自分よりも誰よりも、姉である加流羅を大切に思っていた。  そして、誰よりも愛していた事を。  いや、今現在も“愛している”事を。  自分が、夜叉丸にとって加流羅の“代わり”には決してなれはしない、という事も。  「恋人」としては傍にいれるだろう。  夜叉丸が望むまで、ずっと。  男も、ずっと夜叉丸の傍にいるつもりだった。  だが、「家族」としては傍にいられない。  夜叉丸にとっての「家族」は、加流羅しかいない。  「恋人」になれても、「家族」にはなれないのだと、痛感していた。  数年経ち、我愛羅もテマリもカンクロウも物心がつくぐらいまで成長してきた。  あんな事を言っていた夜叉丸だが、情が沸いたのか、それとも亡き姉の忘れ形見として愛したのか、我愛羅の世話を献身的にしていた。  その甲斐あってか、我愛羅は夜叉丸にとてもよく懐いた。  いつもは普段着に砂隠れのマークが刺繍されたエプロンを付けている夜叉丸が、その日は珍しく忍服を着ていた。  顔を隠す為の布まで持っている。 「どうした? 任務か?」  報告書を提出する為に風影邸を訪問していた男は、忍服姿になっている夜叉丸にそう声をかけた。  すると、緊張した面持ちだった夜叉丸は声をかけられ驚いたようにバッと顔を上げた。  だが、其処にいるのが自分が心を許した者だと言う事に気付くと、すぐに穏やかな表情を浮かべた。 「うん。風影様直属の、任務」 「風影様……直属……?」  我愛羅をはじめ、風影の子達の世話を任されていて、信頼を得ているとは言え、夜叉丸は中忍だ。  風影直属に、任務を受けたのか……? 「Aランク、か?」 「……ランク付けすれば、多分…………Sランク……かな」 「……他の班員は?」 「いない。僕一人だよ」 「一人で、Sランク任務か!? 中忍であるお前に!?」 「…………うん」  風影様は、夜叉丸を殺す気か……!?  そんな憤りに似た想いが、男の中に渦巻いた。 「我愛羅様を、殺せって」  普段と変わらぬ表情で、夜叉丸はそう男に言った。  まるで、天気や献立について話しているような、そんな口調だ。  その口調に惑わされ、男は一瞬夜叉丸が何を言っているのかわからなかった。  夜叉丸の言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。 「な…………っっ!?」 「守鶴の力を制御できない我愛羅様は、里にとって危険な存在になるだろうからって………」  違う。  そんな事聞きたいんじゃない。  そんな事、何故お前はそういつもと変わらぬ表情と口調で言えるんだ…? 「…………どうしたの」 「加流羅の、子だぞ……? お前の、甥だぞ……?」 「うん」 「……いいのか? お前は……それで………」 「…………」  いいわけ、無い。  風影様の命令なんだから、仕方無いよ……  夜叉丸がそう言うのを、期待していた。  待っていた。  言わないという事がわかっていたのに。  男は、夜叉丸にとって我愛羅がどんな存在なのかわかっていた。  わかっていたから……  だがそれでももし、万が一、夜叉丸が我愛羅殺害に少しでも躊躇いを持っているようだったら。  何も言わずに抱き締め、そのまま里を抜けても構わなかった。  夜叉丸がこれ以上苦しむのを、見ていたくなかった。  男の目の前にいる忍服姿の夜叉丸は、やはり相変わらずいつもと変わらぬ表情をしていた。  これから死ぬと言うのに。  死ぬとわかっている任務に行かせたくない。  愛しているから。 「僕は……もしかしたら、我愛羅様を……憎んでいたのかも知れない」 「…………」 「もし、姉さんが我愛羅様を愛しているのだとしても、許せないのかも知れない」 「…………」 「守鶴が、自動的に砂で防御するのは、姉さんの愛情なのかも知れない。  何度も、そう思った。  姉さんは死んでも尚、我愛羅様を守りたかった……。  愛しているから。  そう思った事もあった……ううん、思ってる。  でも、もしそうだったとしても、そうだったら尚更、許せないのかも知れない」 「………夜叉丸」 「僕の大好きな姉さんを、奪って生まれてきたんだから…………」 「夜叉丸」 「姉さんの忘れ形見として、愛そうとはしたよ。……そのおかげかな。我愛羅様は、僕に懐いてくれた。  …………でも」 「…………」 「我愛羅様にとっての安らげる場所が、僕だったとしても。  僕にとっての安らげる場所は、君なんだ」  そう言って、夜叉丸は目尻を少し湿らせて男を見上げて言った。 「君だけだったんだよ。今までも、今も、これからも、きっと……」  「これから」?  お前に、「これから」があるのか?  俺達に、「これから」があるのか? 「僕の名前を、鬼である僕の名前を、そんな風に心地良く読んでくれるのは、君だけだった」  湿らせている目尻は、いつまで経っても粒は溜まらなかった。  いつまで経っても、涙は夜叉丸の瞳から零れなかった。  気が付いたら、夜叉丸が抱き付いてきた。  いつもなら、男の方から抱き寄せているのに。  今日は、今日だけは。  夜叉丸から、抱き付いてきた。 「やしゃ………」 「……何も言わないで、今はただ……、こうしていさせて…………」 「…………」  今にも消え入りそうな声で言われ、男はただ、何も言わずに抱き締め返した。  今まで何度も抱き締めた事のある身体が、今はとても儚く感じた。  このぬくもりも、この感触も、この声も、この笑顔も。  全て……  もうすぐ、この世から消える。  何もしてやれない自分が、もどかしかった。  何もできない自分が、不甲斐なかった。  今はただ、こうして黙って抱き締めてやる事しかできないなんて。  だが、いつまでもそうしていられる筈もなく。  そっと、夜叉丸の方から離れていった。 「やしゃ……」 「もう、行かなくちゃ」 「夜叉丸……っ」  相変わらず、夜叉丸は笑顔のままだ。  最後も、笑顔のまま終らす気か? 「……時は、忘れゆく為にだけ、あるものじゃないよ」 「え……?」 「何物にも、縛られないでね」 「……何を、言って……?」 「さよなら。愛してる」 「………俺も………愛してる」  声を少し詰まらせながら男がそう答えると、夜叉丸は嬉しそうに微笑んだ。  そして一瞬だけ悲しそうな顔をして俯くと、瞬身の術で姿を消した。  それが、バキが見た夜叉丸の最後だった。 〜終〜 どれだけワイン飲み干せば あなたに逢える? 浅い眠りに落ちて 夢の迷路で 髪の長さも変わらない あなたに触れる どうして泡のように消える? 瞬く星座よりも遠い人よ もう誰も抱かない そっと誓うよ 月のナイフで胸を抉られて 金と銀の血を 今 流す 咲いた花は枯れる為に生き急ぐのか 辿り着いた この世の果てで 記憶だけ抱き締めて彷徨うより いっそ殺されたい 魔女の呪いで 今夜オルフェがあなたを捜して 月影に濡れた空を飛ぶよ          ♪月影心中/大沢樹生